ひねくれ者のくだらない話

特に深い意味はない。

肛門科デビュー

 おしりが切れると、どこか遠くからふつふつと湧いてくる感情がある。そうしてどうしようもなく閉まっておきたい記憶、忘れたい記憶が徐々に鮮明に思い出され、まるでインスタントカメラのシャッターを切る時のような小さな衝撃が頭の中で弾ける。

 

 私は3ヶ月あまり続く排便時の出血に耐えかねて、ついに肛門科の門を叩くことを決心した。輝かしい19歳の夏だった。

 私の痔は今思い返すだけでもゾッとするくらい酷いものだった。出血、痛みは日を追う事に増してゆき、まともに座ることさえままならなかった。便器に滲む大量の赤色を見て、あのあしたのジョーよりも遥かに燃え尽きていた。ひとり、1畳ばかりのリングの上で。

 そんな毎日を繰り返していると「私のお尻は正常ですよ」と装うのにもついに限界がやってきた。末期にはその苦しむ表情の中に、どこか数多の修行に耐え忍んできた威厳さえも現れていたと思う。

 

 近くの肛門科をGoogleマップで調べたら、大通り沿いにレビュー評価の高い病院を見つけた。自転車で15分ほどだ。

 しかし今の私にとって自転車に乗るという行為はまさに拷問である。ペダルをせっせと漕ぐ度、冷たく固く鋭いサドルが重傷を負ったそこにぐっ、ぐっと食い込むことを想像するだけで身震いした。

 仕方なくバスで行くことにした。バスではガタガタと揺れる度に「私はお尻に爆弾を抱えています」という表情を隠せていなかった。将来はコンクリートを滑らかにする仕事をしようと思った。

 

  ネット予約番号01番、それが私の今日の名前だ。ああどうか今日限りであって欲しい。しかしその願いは叶わなかった。

 問診を済ませ、ソファに座っている間もずっと、私の尻はその憂鬱を訴えかけることを断じてやめなかった。もはや柔らかい物さえも凶器となっていた。

 私はもう泣きそうになっていた。なんで私が輝かしい成人前のラストサマーにこんな惨めな思いをしなければならないのだ。

 ふと待合室の奥にあったウォーターサーバーが目に入り、ひとまず水を飲んで落ち着かせることにしようと駆け寄った。しかし、その時の私は子供の親指くらいしか入らないであろう小さな小さなコップにさえどこか哀れみを感じるほど、これから始まる診察を前に心臓が乱れ打ち、胸がはち切れそうだった。水は3杯飲んだ。

 

 「1番の方、どうぞ。」

 ついにこの時がやってきた。いくら胃カメラのポスターを眺めていても世界は変わらないし、当然私のお尻も治るはずがなく、決心のつかないまま診察室に導かれた。

 医師は中年の男性だった。話す度にそこに花びらが散るような、朗らかで柔らかい雰囲気があった。しかしいくら優しそうでもこの後お尻をくまなくほじくり返されることは確定している。この世に神も仏もあるものかと改めて思うのであった。

 

 「それでは下着を下ろしてくの字のかたちで横になってください。」

 準備が整い、シャッとカーテンは閉められた。この滑らかな断末魔は誰かに届くのだろうか。

 「少しヒヤッとしますよ。」

 全くヒヤッとは感じなかった。水で洗うのでさえ激痛が走るそこはもう、ヂリヂリと燃える感覚しか残っていなかった。だんだんうまく息ができなくなってきた。

 「では、見ていきますね。」

 本来出口であるところに入口として何者かが侵入してくる。次の瞬間、私の頭の中に大マゼラン雲が広がった。チカチカとパチパチとその尊い命を燃やしながら大マゼラン雲がどんどん手の届かない遠くまで広がってゆく。羊羹みたいな艶のある枕を固く握りしめ、「ああ」と、小さく微かに悲鳴をあげた。

 「一旦休憩しましょうか。」

看護師の一声でひとときの休憩を挟んでもらった。

 私はもう笑うことしかできなかった。笑って、自分のお尻の運命を他人に託すことを受け入れた。もうこれからの人生、怖いものは何も無い。

 

「切れ痔ですね。ほぼ慢性化しています。」

 医師はポップな便のイラストが描かれたスケール表を指さし、私の普段の便の硬さを尋ねた。便が硬いとお尻が切れる、かといって柔らかすぎるのも良くない、とのことだった。そして左以外の上下右が全て切れている、とポップな尻穴の絵を描いてもらった。そうやって突きつけられた現実も、尻をほじられたことに比べたら大したことないように思えた。

 

 「薬が切れたらまた来てください。」

一瞬、耳を疑った。またあの地獄を味わってくださいと、今確かにそう聞こえたのだ。私はポップな笑顔で颯爽と去るところが、その判決を受けて体が鉛のように重くなり、暗く深い孤独な海に沈んだような顔で病院をあとにした。

 

 そうして2週間分の便を柔らかくする飲み薬と注入軟膏を19歳の女の部屋に持ち帰った。

 私は8千円で購入した大きな全身鏡を持っていた。白のペンキが塗られた木材で枠どられている可愛い可愛い鏡だ。

 しかし私はこの鏡の前で風呂上がりに尻を懸命に広げ、見たくもないものを見て、本来出口であるそこに軟膏を直接注入しなければならない。それが切れ痔を背負う者たちの厳しい試練である。

 最初はどんな姿勢をとれば入れやすいのかと、試行錯誤の日々であった。鏡の前で尻を掴んで広げながらここでもない、ここでもないと尻を軸にしてグルグル回転していた。

 恥なんてものは、初対面の大人に尻をほじくられることに比べたらごく僅かなものである。やがて1番しっくりくる姿勢を見つけ、これを「お猿さんのくつろぎポーズ」と名付けた。なるべくポップな気持ちで治療を進めていった。

 薬の調整も最初の頃が難しく、量が足りなかったりお腹を下したりしてしまうことがあったが、徐々に適量がわかってきて、薬が切れる頃には出血はぱったりとなくなっていた。

 ごく普通の排便がいかに素晴らしく有難いことか、私がこれから出会う全ての人に教えようと思った。

 次回からの通院も、あれだけ絶望していたことが嘘かのように難なくこなせるようなり、ぴったり3ラウンド目を最後にして、晴れやかにリングを降りた。

 

 そして現在に至る。慢性化してしまった切れ痔は完治することはない。私は辛いものが大好きで、冷え性で、シャワー族なので便秘になることも少なくない。特に生理前は便秘になりやすく、月に1度はあの19歳の夏を嫌でも思い出させられてしまう。

 しかし大量に出血する程酷くはないので市販の非刺激性下剤をたまに飲んで調節できている。

 お尻に悩んでいる人はぜひ肛門科を訪ねてみてほしい。早い段階で治さないとこの先ずっと苦しむことになる。麗しき快便ライフを望むのなら、医師に尻を広げることなど些細なことなのである。本当に。