ひねくれ者のくだらない話

特に深い意味はない。

自分語り⑶

 本当に些細なことで私は私を見放す。

 守らなければいけない自分の心も体もほんの少しの幼い絶望に苛まれ見放した。

 

 幼稚園のピアノ発表会で、同じクラスの可愛い女の子が曲の途中で突然弾けなくなり、泣いてしまった。すぐに先生やその子の母親が駆けつけて慰めていた。周りの保護者も暖かい目で見ていた。

 この女の子は沢山の人に愛されているんだ、と、ひと目でわかった。それはまるでドラマのワンシーンみたいに美しく、ただただ羨望の眼差しで見つめることしかできなかった。私もこんなふうに物語の主人公になって愛されたくなった。

 そして自分の発表の出番がきた。

 私は、あろうことかデュエット曲の途中で鍵盤を叩く指を止めた。一緒に弾いていた女の子は驚いてポカンとしていた。わざとなのでなかなか涙が出なくて困った。私はピアノの前で固まってしまったフリをした。

 数十秒経ち、周りがザワザワし始めた。さっき可愛い女の子が泣いてしまった時とは打って変わり、明らかに違う雰囲気が流れていた。不穏で呆れた雰囲気だ。母はまだ駆けつけてこない。どこで立って見ているか分からない母を心の中で何度も呼んだ。

 代わりに先生が慌ててやってきて、「具合が悪い?」と声をかけた。私は頷き、具合が悪いことにした。 私があの女の子とは違って不細工で愛される対象にはならない事実を当たり前のように突きつけられると、堰を切ったように涙が出てきた。先生に手を引かれ椅子から転がり落ちるように立ち上がり、次の次の次の演奏まで泣き止まなかった。涙が乾いても引き際に困ってしまい、「私は可愛くないんだ」と脳へ植え付けるように唱え続けた。悲しくなり、再び涙を絞り出すことができた。

 親達は家に帰って愛する我が子の演奏をおさめたビデオを再生し、美しい旋律に邪魔をするわざとらしいノイズに心底うんざりして動画を削除することになるだろう。

 自分にとっても、ピアノクラブにとっても、一生に一度の発表会をぶち壊した。私の愛されたいという些細な願望のせいで。

 母はとても呆れていた。一緒にデュエットした女の子の家を訪ねて、お詫びまでしたそうだ。

 「だからお母さんの言う通り、家を出る前に練習すれば良かったのに。」

10年以上経っても未だに言われる。母には本当のことなど言えない。せめて母に抱きしめて貰っていれば、呪うように泣き続けなかっただろう。

 ピアノを弾くのは好きでも嫌いでもなかった。ただ、発表会を機に2度と習わなかった。親に愛されないのなら全て意味の無いことに思えた。

 

 

 大阪から実家に帰ってきて近所のモスバーガーでアルバイトを始めた。高校2年生の夏だった。

 薄暗く狭苦しい事務所の隅に更衣室がある。更衣室といっても名ばかりで、人1人立てるくらいの小上がりに埃っぽいカーテン1枚でぐるりと仕切ってあるだけだった。床はグレーのカーペットで、なんだかここで働いてきた従業員達の足汗が染み付いたような、酸っぱいこもった匂いがした。私はつま先立ちで素早く着替えながら、小洒落た意識の高いハンバーガーショップの裏側なんて所詮こんなものか、と思った。

 更衣室の白い壁には無数の穴があった。画鋲穴くらいに小さな穴だ。私はそれらをひとつひとつ爪で押し潰した。

 テレビか何かの影響で、出先のトイレや更衣室を物凄く警戒していた。壁にちいさな穴があるだけで睨みつけて指でじっくりと潰しながら、盗撮をする小太りの汚い中年男がモニターの向こうで悔しそうにうろたえるのを想像した。ざまあみろ。

 私は男が大嫌いになっていた。特に父親くらいの年齢の男だ。

 

 おしっこを飲ませただけでは私の鬱憤は晴れなかった。あの時、生まれて初めて家族以外の男に裸を見せた。ネットで出会った好きでもない男に。緊張で吐きそうになりサラダさえも口に入らなかった。

 しかし、本当にこれでいいのかと自問自答したのは最初だけで、だんだんどうでも良くなっていった。私の初体験に価値なんて無い、いっそ犯罪に巻き込まれて死んでしまっても構わないとさえ思っていたからだ。私は同級生の誰よりも先に大人の世界に踏み入ったのだ。高校を中退した劣等感から誰をも見下すために、私は早く大人になりたくてしょうが無かった。

 男は夜中3時まで私の体をまさぐり続けた。やがて興味のない競馬の話をし始め、相槌だけで聞いているといつの間にか醜くいびきをたてていた。

 完全に寝入ったのを確認してから男をじっくりと観察してみた。そこには力尽きた普通のおじさんが横たわっていた。気持ち悪かった。駅で迎えに来て一目見たときも、禿げていて気持ち悪いおじさんだと感じたのに何故か引き返せなかった。どんなに不快でも、私が大人になる代償だと思えば我慢できた。

 

 次の日から私はまるで生まれ変わったような気分だった。こんな私でも誰かから夢中に体を求めてもらえるんだ。そしてお小遣いも稼げる。それに気がついた私は、体を売ることが賢いと確信した。

 出会い系にハマった。特にアプリだ。その頃は身分証を提出しなくても、「18歳」と入力するだけで簡単に利用できた。既に高校1年生の頃からTwitterで被写体モデルを始めてネットで知り合った人と頻繁に会っていたので、抵抗はなかった。なんなら、ホテルでSM趣味の拘束具を身につけて撮影をして、中年男に玩具で好き勝手された事もあった。

 求められると、自分が肯定された。私がこの世に存在して良いのだと唯一実感できた。しかし、この幸福感には時間制限がある。帰りの電車では必ず激しい無力感に襲われた。

 私は援交相手を探しながらも、本物の恋を求めていた。マッチする年齢は18歳から無限に。大学生からメッセージが来る度に舞い上がった。誰もが私の本当の顔も中身も知らないのに最初から口説いてきた。体目的だとしても、今まで1度も告白を受けたことのない私にとっては至福以外の何物でもなかった。悪い人そうじゃなければ言われるがままについていった。ラブホテル、家族湯、家、またラブホテル。私はもう普通の高校生ではなくなっていった。

 だんだんと帰りは遅くなった。

 

 家族湯で砂利道に体を敷かれ無理やり襲われそうになったことがあった。トゲトゲの財布を持っていて無口で無愛想な男だった。

 男を突き飛ばして家に帰った。玄関の前で背中の擦り傷が冬の風に撫でられると、取っ手を握ったまま動けなくなってしまった。家族の前でどんな顔をして、どんな声色で、どのタイミングで笑うのかが急に上手く出来ないような気がして怖くなったのだ。

 私は取っ手からぱっと手を離すと踵を返すようにして近くのガストへ逃げ込み、冷たい冷たいソファに座って呆然としていた。季節限定のフォンダンショコラを小さく小さく口に運んだが、味がしなかった。ソファはいつまで経っても冷たいままだった。

 所詮、私には酷い目にあう運命を受け入れられる勇気はなかった。もちろん、殺される勇気も。

 両親との関係もこの頃から悪化していった。特に、元々折り合いのつかない父親とは一切口をきかなかった。話しかけられても無視をした。父が背を向けた途端中指を立てた。憎くて憎くて仕方なかった。私がこんなことになったのは全部お前のせいだ、と気持ちを込めて。

 私が自分自身を傷つけているという事実は、どう封じ込めようとしても迫ってきた。心のずっと奥に閉じ込めたつもりでも、必ず姿を見せた。「早く死ねばいい」と自分に言い聞かせながら生きた。

 

 酒を初めて飲んだのは大阪にいた頃だ。私は、寝る前に酒を飲まないと熟睡できなくなっていた。実際は睡眠の質が落ちるのだが、ぐっすり眠れると思い込んでいた。

 中学生の頃から不眠に悩んでいた私は、酒が解決してくれることをもっと早く知りたかった。もう、寝れないくせに睡眠用BGMを義務みたく流さなくていいし、目を瞑った先の暗闇の中で来てほしくない明日のことを考えなくてもいい。

 地元に戻ってからも飲酒は続いた。最初は度数の低いものしか飲めなかったが、どんどん高いものに手を出し、アルコールに弱い体質なのに無理に一気飲みをして、例え悪寒で震えてもやめなかった。

 半年後、明らかに頭が回らなくなっていることに気がついた。頭のどこか大事なところにずっと靄がかかっているような、鍵がかけられているような、そんな感じがした。大好きな本や映画にも触れる気さえ起きなかった。「思考停止」とはまさにこのことだ。

 そして、酒と同時に市販薬を大量に飲んでいた。いわゆるオーバードーズだ。誰かと会う前は必ず飲んでフラフラになった。フラフラして電車に揺られていると、座っているこの椅子も、土汚れた床も、周りにいる人たちも、車内アナウンスも、流れる景色も、開閉するドアも、その隙間から吹く風も、全て幻みたいだった。そして、私自身も。

 この幻がいつまでも続いて、終点は過去も未来も夢も希望も愛も平和も何も無い世界に着くことを願ったが、辿り着くのはいつも知らない男の最寄り駅だった。絶対に叶わない妄想をそこに置いて降りた。

 

 

 ついに私は補導された。Twitterでサイバーポリスに目をつけられ、待ち合わせ場所に向かうと4、5人の私服警官に囲まれてしまったのだ。

 すごく焦った。囲まれた瞬間、酒で鈍った頭を久々にフル回転させた。この時、私は恋をしている男がいた。25歳の社会人、出会い系アプリで知り合い、私が初めて最後までした男だ。部屋が汚くて、風呂に入らなくて、タバコ臭くて、そっけなくて、金色のガッシュベルと洒落た音楽が好きで、顔がかっこよくて、いつも車で迎えに来てくれる。自分でも驚くくらい大好きだった。この男の存在がバレたら、彼は捕まってしまうだろう。証拠を消さなければと思い、警察に抵抗して必死に時間を稼いだが、私にはLINEを消す暇も与えられず署に連れて行かれた。

 警察は1時間ほどかけて私のスマホを隅から隅までひとつひとつ舐めまわすように調べた。もちろん彼のことも聞かれた。彼氏でもない、ただ数回セックスしただけの彼のことを。LINEではそういう類の話はしていない。「友人」だと答えると怪しみながらも納得してもらえて心底ほっとした。

 持ち物検査で最後に化粧ポーチを見せた。その中には百均の小さなカッターを入れていた。自傷を疑われて手首を差し出したが、私に傷1つないのを確認すると、まるで100パーセント当たる景品が当たらなかったみたいな顔をされた。このカッターは、購入した洋服のタグを切るためにたまたま持っていた。本当にそれだけの理由だった。

 話はほとんど終わって警察が席を外した。顔をあげて辺りを見回すと誰も私を見ていなかった。この瞬間、私は生まれてから今まで感じたことのないどす黒い衝動に駆られた。散々傷ついて傷つけられて、もう我慢の限界だった。気がついたらさっきまで青白い血管を通していた私の綺麗な手首から赤い血が流れていた。自分でも驚いた。今までリストカットなんて漫画や映画の世界だと思っていたのにまさか私がするなんて。初めての現実でのリストカットは想像よりも簡単で、達成感にも似たものを感じていた。

 警察は慌てて飛んできて、私からカッターを取り上げた。

 「やっぱり普段から切ってるだろ。」

と満足気に決めつけた。

 この程度で警察に罪悪感を植え付けられただろうか。知り合いの沢山いる街で囲まれ、道行く人に見られ、親にバレて、生まれて初めて自傷をするまで絶望の淵に追い詰められていた。

 私を補導しても何の意味もない。例え心の底から反省してもまた繰り返すのだ。ある種、そういう病だ。

 警察は中年の男ばかりだった。本当に男なんて大嫌いだ。

 やがて母が迎えに来た。後から電話があり、警察に精神科の受診を勧められたが断った。

 

 警察に誤魔化してまで愛した男とは別れた。付き合っていないので別れたというのもおかしいが、補導されたことを受けて、彼は私と付き合うことを躊躇した。付き合う約束をしたから最後までしたのに。そこで初めて、彼からも好意を寄せられていると勘違いしていたことに気がついた。てっきり、私が未成年だから仕方なく付き合っていなかっただけで、会う度に好きになって、やっぱり付き合いたくなった、という滑稽なラブストーリーを信じ込んでいた。

 付き合わないがセックスは続けたいという彼にすっかり失望してしまい、LINEをブロックした。

 たった2日間経った後で激しく後悔した。体だけでもいいから何も関係を切らなくて良かったでは無いか。今までの人間関係でも、お互い好き同士でセックスしたことなんて1度もないし、散々貞操観念を捨て置いて、何を今更。しかし、例え私が未成年でなくても付き合って貰えなかったことなどわかっている。それが、「最初から本命外」の抗えない真実である。

 わかっていても、何度も何度もブロックを解除してメッセージを送信しようとしたが、1度もそうしなかったのは、その男と離れてからというものの私はすっかり抜け殻のようになってしまい、そこまで愛していたのを見透かされるのが恥ずかしかったからだ。

 

 モスバーガーを半年ばかりで辞めてからあちこちにピアスを開けまくった。両耳で20個、胸、鎖骨、へそにも開けた。もちろん痛かったが、街を歩くと人々に好奇の目で見られ、避けられるのが快感でやめられなかった。ピアスは強さの証であり、私のマイノリティなステータスであった。同級生でこんなにピアスが開いている人はいない、と優越感に浸れた。

 でも、これだけでは満たされなかった。大好きな人を失ったショックはずっと続いた。一緒に飲んだタピオカドリンクも、一緒に食べた回転寿司も、海沿いをドライブしたことも、スクランブルエッグにラー油を混ぜた不味い手作り料理も、夢に出てくるくらい苦しい思い出になっていた。事後に換気扇を回して丸椅子に座り怠そうにタバコをふかす。朝はお洒落な音楽を流しながらスーツを着る。そういう格好つけた仕草も、好きだからこそ様になっていた。私の同級生がまだ見たことの無いであろう景色をシングルベッドで毛布にくるまり、うっとりと眺めていた。

 

 私の恋愛が発展しないのは自分が太っているせいだと思った。昔から、太い足がコンプレックスだった。足だけではない。高校を辞めてからお菓子の食べすぎで15kgも太ったのだ。この体のせいで私は幸せになれない、男に追いかけて貰えない、そう思ってダイエットを決意した。

 夜ご飯を抜いて、最初は簡単に5kg落ちた。だがそこからはなかなか減らなかった。ある日ネットで、ご飯を咀嚼して飲み込まずに吐き出すという行為があることを知った。チューイングだ。最初は罪悪感が込み上げてきてできなかった。生まれてこの方、腐ったものと魚の骨と給食のレバー以外のご飯を残したことがない。オムツ用の消臭袋と黒のポリ袋まで買って準備万端にはしていたものの、なかなか最後の行動にまでは移せなかった。

 ところがある日、スーパーで買い物をしていると惣菜コーナーのコロッケが目に入った。ダイエットを始めてから揚げ物は久しく口に入れていない。見てはだめだと思いつつも物凄い引力のようなものにひきつけられてそこから目を離せなかった。惣菜コーナーのお気楽なゴシック体で、吐けばいい、吐けば大丈夫、と囁かれた気がした。私はコロッケをカゴに入れた。

 家に帰り、部屋を真っ暗にして卓上ライトだけをそっと点け、袋から出したコロッケを勉強机に並べた。コロッケと私だけが青白い光に照らされていた。なんだか最後の晩餐みたいだ。しかしそれは摂食障害に足を踏み入れる最初の晩餐であった。酒を減らして少しばかりクリアになった頭には十分すぎるほど理解できていた。

 でも私はそこまでして痩せたかった。痩せればこの不細工な顔もいくらかマシになるだろう。か弱く男性に守ってもらえるような存在になるだろう。

「愛してる」

と嘘をついてまでセックスするような男は近づいてこないだろう。

 箸をとり、大きなコロッケの端っこを1口噛んだ。それは「ザクザク」とうまそうな音を鳴らし、唇に懐かしい脂の感覚を迎えた。それから10回くらい噛んだ。喉の奥に流されないようにゆっくりと。そして、恐る恐る袋に吐き出した。

 その時やってしまった、という後悔より、やってやったという爽快感を感じた。

 咀嚼物をビニール越しに下から触ってみた。生暖かくて、生きてるいるみたいで、気持ち悪かった。

 そうしてまた5kg痩せた。援交で稼いだ金は市販薬とご飯代に全て消えた。食料と私の唾液が混ざりあったゴミ袋がどんどん部屋に溜まっていくと同時に、体にあまり力が入らなくなってしまった。少し家事をしただけで動悸と息切れがした。

 

 ある日の食事中、ふと何かを飲み込んだきっかけで過食が始まった。それはダムの決壊に似た勢いだった。既に壊れているものがまた壊れた。

 菓子パン、ファミリーパックのお菓子、アイス、酒、インスタント麺、毎食、毎日のように続いた。食べてしまった後悔から吐きたくなった。ネットで調べて「過食嘔吐」を知った。私はみるみるうちにリバウンドした。

 壁1枚の向こうで家族がテレビを見る音が聞こえる。我に返りそうな気持ちをこらえた。私は今から嘔吐しなければならない。

 小学校6年生以来、今まで1度も吐いたことがなかった。吐くことにも恐怖感があった。

 指ではうまくいかず、スプーンにティッシュを何枚も巻いて、喉の奥に突っ込み何度も嗚咽した。最初はよだれと涙だけが垂れ落ちるだけで、私の待ちわびたものはなかなか出なかった。

 やがて、吐けないストレスでリストカットをするようになった。部屋を真っ暗にして、お気に入りの音楽を流してリズムに乗ってリストカットした。痛みに耐えることで私は強くなった気がした。そして無数の傷跡に恍惚としていた。コンビニで金を払うときに店員がぎょっとしたり、家族にも一線を置かれたりしても構わなかった。

 少し吐けるようになると、もっと大量に吐きたくてたまらなくなった。もっと沢山食べたい。食べるために沢山吐きたい。

 Twitterの情報を得て、Amazonでチューブを買った。チューブの先をカッターで面取り、コンロで炙って飲み込んだ。水を大量に飲んで、苦しみ泣いた。私は何をしているのだろう。誰かに助けて欲しい。

 過食した後は死にたくなって、酒で薬を40錠飲み、リストカットするのがセットになった。自殺できない私のお気の毒セットフルコースだ。季節は高校3年生の冬に差し迫っていた。