もちつもたれつ
胃もたれ。背もたれ付きの胃もたれなのか、胃もたれ付きの背もたれなのか。わからない。
人生ではじめて焼肉になりたいと思ったのは高校生の時。ジュージュー炭火で焼かれて知らない人にくちゃくちゃ飲み込まれてうんちになって下水に流されて微生物に分解されてそこから先はわからないけど、それっていいなって思った。
将来の夢、ナウシカ。これは殿堂入り。あと原っぱででんぐり返しすること。新入りはドイツの朝食を食べること。他にもなんかいろいろあったはず。今は全部引き出しの中にいるみたい。
スタバでブラックコーヒー片手にMacBookカタカタの理想と、眠剤飲んだのに寝れない12時過ぎベッドに横たわり入念にスキンケアした顔へブルーライトを浴びせながらiPhone11ポチポチの現実。まあ、いいけど。
食事中に背筋なんか伸ばしてられるかっ
ミートパスタの最終比率はいつも2:8。もちろん肉が多くなる。あんなの絡みもしなければフォークですくえやしないんだよ。冷たくなった皿に下唇をあてて、土砂みたいになったそれと二度寝してだるい昼下がりの空気とを共に奥へ奥へ吸い取る。
よくあることよ、と言われる度によくあるもんかとのたうち回り、誰も私のことなんかわかりゃしないんだとメソメソ泣く。いや、面倒だからわかりたくもないんだろうなと思う。最初から私の話なんかまともに聞いていなかったんだと。そしてチョコとルマンドとたまごボーロとMOWと堅揚げポテトを補給。たまに芋けんぴと辛ラーメン乾麺のまま。翌朝、生まれたニキビたちをプチプチと潰す。今日はもう仕事いいや、満点大泣き。休みますの連絡ひとつで急に湿度が下がり、空気が爽やかで柔らかく、息がしやすくなり、家中掃除機をかけまくる。布という布を洗い、乾かし、ご飯を作り、一生誰とも感想を分かち合うことのないネトフリを一気見する。一応泣けそうだったら泣いてみるが賢者タイムもちゃんと来る。YouTubeでは必ずダイエットが流れてくる。調子が良い時はチャンネル登録までしてあげる。はたまた調子が悪いと登録解除する。ごめんなさい。
体重をはかることをやめた。ダイエットをやめた。長かった。7年?8年?ばかみたい。やめたら、今まで使った金額、時間、精神、全部全部ムダになる。それでもやめたかった。カロリー計算、基礎代謝、栄養素、痩せる・太るメカニズム、運動、少なくとも住んでいる自治体の中で1番詳しい自信があるほどこれに費やしてきたと思う。仕事にしようとしたことさえあった。それをやめた。ばかみたいだから。ご飯は美味しい。沢山食べたい。それを覆すのは不可能であって、嫌なことがあったとき、悲しいとき、寂しいとき、甘い物食べて何が悪いんだろう。ムシャクシャして、イライラして、そんな時にナッツ?スルメ?低脂質?ロカボ?血糖値?あほか。ローカカオチョコ食わせろ。それを求めているんだから。
まあ相変わらずジュースはあんまり好きじゃないしコーヒーも紅茶も無糖派だし野菜大好きだし生クリームも年々きついし外食のご飯は0.7人前で丁度いいんだけど、こんな感じでも質量保存の法則を守り続けるこの体、神秘。
お風呂上がり、内もものお肉がぷりんってしてた。毎日見ているものだけど、それは本来とても憎いものだけど、なぜか今日は可愛いって思えた。
無理してキツイ服着るな。Lを買おう。Lの代表という顔でLをとびきり着こなして楽しめばいいやん。たとえそれがLLになったとしても同じことだ。
疲れた。またレイプされる夢。知らない男だったり知ってる男だったりする。殴られる。はさみ、ナイフを喉、胸、腹に突き刺される夢。体が動かない。追いかけられて追いつかれて叫んで起きる。
もう慣れちゃった。怖くて二度寝できないとかもなく、すんって寝る。そうしないと生きることが回らないから。
心が重い時は大抵頭も重いし胃も重い。でも空の明るさは関係ないことを最近知った。これは良いこと。
また仕事辞めた。
年金税金健康保険学費こんなちっぽけな私に迫る甘くないミルフィーユ。人間って認定されてたんだ。
あの子の家の前を通りかかる度に苦しい。苦しいくせ散歩ルートに高頻度で選んでいる。参加しなかった同窓会のため作られたLINEグループからプロフィールをわざわざ見にいくのやめたい。やっぱり自撮りだよね。顔が可愛くて、憎らしい。私はいつまでここにいるんだろう。はやく小学校卒業しなきゃ。
体を分けて粘土みたいにこねて、川とか海とか山のてっぺんとかからポイって投げて、でもそれはナプキンとか食べかすとかコロコロのシートとか不在票をゴミ箱に捨てる感じではなくて、ちゃんと届けって感じで投げて、ついでに余ったやつは宇宙にも投げて、分身たちがそれぞれ旅をして、終わったら集合して、おもひでぽろぽろしたい。
解散。
いつも読んでくださっている皆様へ
こんにちは。ひねくれ者です。
な・な・なんとアクセス数3000と、沢山の方(ほぼ友人)に読んでいただきました、ありがとうございます。
この世の中には需要のないものは存在しないのではないかと思います。嬉しっ
そして、今まで「はてなブログ」に投稿してきた私のちっぽけな日記をnoteへも載せていきます。内容は全く同じです。
noteに完全移行し、はてなブログは閉じるかちょっと迷ってます。希望があればぜひコメントください。
ぼちぼち来月あたりからも追加で書いていくのかなと思います。特に頑張るぞーみたいな気持ちもないけど、頑張らないぞーって気持ちもないので、生ぬるい目で見守っていただければ幸いです。
あとすっかり忘れてましたがLINEスタンプ第2弾大好評販売中です。
[君にどうしても伝えたいことがあるんだ。]
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な・な・なんとこちら売上700円もいきました。もちろんほぼ友人です。ありがとうございます。使いどころ満載なのでぜひ買ってくださいね (^з^) -☆Chu!!
ではまた。
じゃんけんパー
落ち込んで元気になってまた落ち込んで、疲れる。
まあ人間はそういうものだ。うんちだって毎日違うじゃん?
鳥を飼い始めた。コザクラインコ、別名ラブバードともいう。これがまた可愛い。噛まれても可愛い。世話が焼けるのも可愛い。肩に乗ってきたり手の温もりを頼りにされると自分の中に潜んでいた母性がとめどなく溢れ出すのを感じる。
毎日のルーティン。インコの背後からバレないようひっそりと顔を近づけすうっと嗅ぐ。そのなんとも言い表せないにおい。本人のキョトン顔も相まって愛しい。たまに調子乗りすぎて鼻とか唇噛まれるけど。
洗い物や掃除なんかをしてる時にビービー呼ばれると「ハイハイ今行きますよ〜」と手をさっと拭きあげながら、あ、私今お母ちゃんみたいなことしてるな…と少し戸惑いながらも徒歩3秒の道をつま先でタタタと小走り、「さあ、お前は自由だ!」とドヤ顔で外に出してやる。
なんだか私ばかり癒してもらっている気がする。インコはちゃんと幸せでいてくれているだろうか。
シンク飯はトマトとキウイと味噌汁の味見がやっぱり1番美味い。
3歩進んで2歩下ったり5歩下がったり…そこからまた10歩進めたり。昨日までは、自分を頭の先から爪の先までチョキチョキ切り刻みたいと思っていたのに、今日は入念にボディケアしていたり。訳が分からない。
肩に力が入りすぎているのでじゃんけんは全部パーでいく。
毎日違う自分がいる。変わらないけどなんか違う。こんな醜い姿も私なのかって頭を抱える。こんな美しい姿のときも一応あるのかって疑う。ごく普通の22歳。
お腹が空くと、死にたいくせになんでお腹空くねんって思う。お腹からは、そんなとばっちりを食わすより飯食わせろの「︎グー」が鳴る。
とりあえずあくびにビブラートつけてるうちは人間大大大丈夫、のはず。そうでありたい。
ただいま
ただなんとなく自室の鏡の前でクネクネ踊ってみる。そういうことを担うテンションがある。ポータブルオーディオをAppleMusicのラジオに繋ぐ。英語はラブとファックとビッチくらいしか聴き取れない。洗濯物を干すとき、ご飯を作るとき、運動するとき、寝る前、いつもお供にする。
いつも何してるの?と聞かれると困る。聞き返すと大抵「うーん、なんだろー、何もしてなーい。」と言われる。そりゃ私も「うーん、なんだろー、何もしてなーい。」に決まっている。
映画観る、ドラマ見る、漫画読む、筋トレする、家事する、散歩する、当たり前の日常すぎてパッと浮かんでこない。なんかうっすら全部ゴロゴロしながらできることだから、何もしてなーいになるんだろうな。
インドのパンは調べたところ9種類くらいあるらしい。私が今まで食べたことがあるのはナン、パパドゥの2種のみである。パパドゥは煎餅みたいなもんだと思ってたけど一応パンに属するらしい。
今回はスリランカ料理店でドーサに挑戦してみた。 インド料理とスリランカ料理の違いはカレーかな?後者の方が油が控えめでココナッツの主張が強めでサラサラしているのが多いイメージ。
そして、インド料理といえども一括りにはできず、地域によって様々な伝統料理が存在する。私たちが馴染みがあるのは北インド料理。そしてスリランカ料理は南インド料理に近いんだそう。
ふーんとGoogle先生を閉じたところでいざ注文してみる。時刻は1時半をとうに回っており、その1時間前から美容室で頭を弄られながらぐうぐうとお腹を空かせていた私は分厚いメニュー表を握りしめ、あーナン食べたいだとか朝もパン食べたし米の気分になってきただとか理性が飛び飛びになりながらも、お喋りが盛り上がっているところ悪いねーという気持ち込めた「すみませーん」を4回ほど繰り返して店員さんを呼び、本来の目的であった「ドーサセット」をなんとか注文できた。
ふうっと一息つこうとしたのだが、私が座った席の近くには大きなモニターがあり、そこに「BEST OF 2023」というテロップと煌びやかな兄ちゃん姉ちゃんが列をなして映し出され、インドなのかスリランカなのかわからないメドレーの重低音がズンジャカとやたら重い。私を取り巻く全てを掻き乱し、震えさせる。
ランチタイムは終わりかけ、いつの間にか他の客は皆帰ってしまった。初めてのお店で日本語は聞こえず仄暗い中ひとりきり。途端に不安になってきた。ぼったくられたらどうしよう、なんてことをとうとう考え出したときふと反対側の壁を見ると、あった。呼び出しベル。
1分が10分に延びた世界で空腹のピークを超え「BEST OF 2023」もYouTubeの広告にはいったところでついに…ドーサは私の元へやってきた。

デカ。なんか更に知らないのもついてきた。
メニュー表をもう一度開いてよく見るとちゃんと小さい文字で「サモサ、チャツネツキ」と書いてあった。
これは思わぬ来客だ。サモサもチャツネも発声すらしたことがない。ここは敢えて事前学習無しで挑むことに。
まずはドーサ。こちらは予習した通り、米粉と大豆を発酵させたものをクレープ状に焼いてあり、外パリパリ中しっとり、ほんの少し酸味?とても素朴な味がした。
しかしこのドーサというやつ、生地が薄いせいでみるみるうちに冷めていくではないか…ナンと比べたらボリュームは負けるけど軽く食べたい時に凄くちょうど良いなと思った。
次に左奥のチャツネ。食感は風邪ひいたときに食べるりんごのすりおろしのような?味はバジル?ミント?何かをベースにスパイスと合わせている?カレーとの相性が抜群で交互に頬張る。
最後に右端のサモサ。これは一体なに?何をされてる方なの?パイ生地より硬めのバリっとした皮はなんとモチモチ感まで兼ね備え、その安心と信頼のもとにぎっしりと包まれているのは薄いカレー風味のスパイスと芋?芋なのか?最初はデザートかと思ったが全然塩。美味しい。
初めての味だらけで頭が大混乱。こういう日を月に一度は設けたい。スパイスに振り回されたい。全てのスパイスに感謝。
精神が健やかさを掴みかけると過去の汚点が輝く気がする。もちろん悪い意味で。せっかく今まで誤魔化していたのに。
真っ暗な中散歩をして自宅から遠ざかれば遠ざかるほど自分が分離していくような感覚が怖いけど少し心地よい。このまま意識失いたい。定期的に不審者がいないかはっと後ろを振り返る度現実に引き戻されるのが、たまらなく情けない。
歩いていると亡くなってしまった、もっと大切にするべきだった人が思い浮かんで涙が止まらなくなった。こんな汚い人間が、何も動けなかった人間が思いを馳せること自体烏滸がましいんじゃないかな、と思ったりする。でも、生きててほしかった。話したかった。ずんずん歩く。
楽しかった時間とか癒しとか恋とかよりも知らない人とセックスした帰りに乗った電車の窓から見た知らない街の興味もない景色がずっと忘れられなくて、初めての駅の自販機で買った甘いレモネードで口に出された後味を誤魔化したりだとか、そんな途方もなくばかで薄気味悪いことばかりをずっと忘れられなくて、ここから一生抜け出せないんだろうなって一生苦しむんだろうなって思う。
人のせいにもできない、ただただ自分のせいでしかない。ポジティブに捉えるには無理がありすぎて、後悔と苛立ちでいっぱいいっぱいになる。
自分死ねって地球にリズム刻みながら一里。ばかだから家に帰ることにした。
心臓がドカドカしている。やっぱり生きないといけないと思う。死にたい理由はキリがないくらい浮かぶ一方で生きたい理由は特にない。それなのに生きたい気持ちの方が強いのが不思議だ。
生きたいから歩いてるんだし生きてるから歩いてるんだよなー。歩きたいから生きてる。心臓は動いてる。なんかただそれだけの簡単なこと。あたりまえ体操みたいな。
たま
最後に息ができないくらい笑ったのはいつだろうか。
仕事に行きたくなさすぎて大泣きした朝。ドミノのように崩れ落ちた精神のまま外へ向かえるはずもなく、物を投げ倒しメソメソ太ももを切り刻み、カビ臭い畳に這う。絶望感にどっぷりと包まれながら天井を30分程見つめた。パンツ一丁。
拭うことすらしてやれなかった涙で固めた髪の毛をジャリジャリとほぐしながらYouTubeを開いた。
キューバの貧困問題をじっくり観たあと、オススメにどぶろっくが流れてきた。
彼らの代表作「きぇんたま」を鑑賞する。
軽快なテンポで曲が始まる。ギターを持っていない方、江口直人がおもむろにハットを脱ぎツルピカの頭を晒し歌い出す。
「たまたまたまたまたま🎶」
きんたまだ。最初からわかっていたのに、私は馬鹿みたいにゲラゲラ笑った。さっきまで母の膝に泣きついていた気まずさが10倍に膨らむくらいに笑った。その間は心と体すべての痛みを忘れられた。
今までにきんたまに対してこれほど明るい気持ちを向けたことがあっただろうか。
たかがきんたま、されどきんたま。きんたま様様である。息はできていた。でも、また小中学生の頃みたいに息ができないくらい笑いたいなと思えたことにほっとした。私はまだ先を見れるんだ、見てもいいんだ、と。
念の為、キーボード学習された「きんたま」はリセットしておこう。
宣誓
好きなお花をたくさん挙げられるようになった。大人になったなと思う。
不眠症を治したくて薬を始めた。寝る前にたった一錠飲むだけで効果てきめんだ。もっと早く始めていれば…でも、その悔しさの刀を過去へ向けてエイッと突きつける元気もなくすんなり鞘にしまうことができるのも大人になったなと思う。
週5で働き始めて、嫌な大人を沢山見た。まっすぐすぎて一途にさえも思えるその悪意や敵意をこちらに向けられないように必死な自分が恥ずかしいような、なんだか屈してしまったような、そんな気もする。でも右から左へ受け流す。大人だから。
ペコペコして腰を痛めてへとへとになって帰ってきて、浸け置きすらされていない洗い物にお出迎えされようが「フー」とか「ワー」くらいのため息ひとつで彼らと向き合う気合いが入るし、明日の朝ごはんのスイッチを予約するまでこなせてしまうし。
毎日30%でも生活はやすやすと巡る。なので初っ端から100%を目指さないことをここに誓います。
二十歳の盲点
深夜二時二十分。天井の木目と見つめ合う。夜目が利きだすと共に徐々に脳が覚醒していくこの時間が意外と好きだ。
惣菜屋で注文した唐揚げが出来上がるのを待っていた。空調のよく効いた店内に油が小気味よくカラカラと沸き立つ。他に客がいないこともあってか、揚げ物を売り出す店にしては何だか物足りないような静けさがあった。油と醤油とニンニクの惚けた匂いを冷房の風が滑らかに運び、私の肩をひんやりと撫でる。
腰を下ろした椅子の向かいには少年ジャンプが無造作に並べられた三段棚の上に、両手で軽く抱えられるほどのこぢんまりとしたテレビが置いてあった。小さいお店の小さいテレビには不思議と威厳がある。そんなことをぼんやり考えながらぽつりと呟いた。
「やっぱり人生頑張らなきゃいけない。」
最近ずっと考えていることだった。筋トレをサボったり、バイトをサボったり、勉強を辞めたり、眠れなかったり、私を支えるものたちが一つずつ剥げ落ちて何者でもない自分が丸裸にされそうな時、もう全部終わりにしたい、という無責任な考えが脳裏をよぎるどころか、しっかりと掴んでゆさぶってなかなか離さなくなる。
以前の私ならそのまま終わらせるようせっせと支度を整えたに違いないが、どういう訳か、もちろん良いことではあるが、今の私は極端な選択は避けるようになっていた。
人間いつかは死ぬ。病気かもしれない、事故かもしれない、エンディングは誰にもわからないことだが、どうせ死ぬ。
そう言い聞かせていたら、なんだか生きていくのはささやかでたいしたことないのかもしれない。
いつも、生きることを仰々しく構えていた。何か立派なことをしなくちゃいけないとか、周りに甘えたらいけないとか、生きることへ条件を課していた。一体私は何を目指しているのか。死んだあと銅像にでもなるというのだろうか。
最近は、ただ自分がやりたいことをやって、美味しいものを食べて、例え低所得でも、親と上手くいかなくても、恋人がいなくても、身の丈に合わせてぐうたら生きれば良いんだと考えるようになった。
今までだってそうじゃないか。善し悪しは別として、自分のやりたいことは貫いてきた。これからもそれで良いのではないだろうか。その証拠に今、生きているんだし。
「まあ、頑張らなくてもいいんじゃない。」
突拍子もなく投げつけた私の人生宣言に、一緒にいた姉がそう答えた。
姉の言葉はいつも私のぐらつきそうな心に重石を置くようにすとんと落ちる。
いつも彼女のメンタルはぶれない。その信念は一貫していてとても潔い。諦観に近いような、何事にも期待しすぎないことが強さの鍵なのかもしれないと思った。
一方で、私の気持ちはコロコロ変わる。ある時は白、ある時は黒、全く正反対の気持ちに強く強く引っ張られる。本当のところはどこにあるのか自分でも全く検討がつかないが、きっと、白も黒もどっちも私なのだと思う。
「あんたは真面目すぎるんだよ。」
姉は続けて言った。マスクをしていたのでよく窺えなかったが、微笑んでいるような呆れているような諭すような細めた目で、やはり彼女もテレビを光と音だけで見つめていた。姉も姉なりに苦労してきたのかもしれない。
真面目。普通は長所としてアピールする素質だろう。しかし私は自分の真面目さと奔放さのギャップに苦しんでいた。頑張らなければいけないところで気を散らして、きっちりとやり遂げられない。逆に、気を抜いていいところで、遠回りしてあれこれ無駄な考えを張り巡らせ考え込んでしまう。現に、自分のちぐはぐな真面目さについてこれ程頭を悩ませていることだって、無用なことではないのだろうか。そうだ。無用なんだ。考えることを考えるのはやめよう。
私は元気にやっていると死にかけていた二十歳の私に言いたい。あれから生きて、死ななくて良かった、と何度も何度も心を弾ませたからである。
今朝は少し寝坊してしまったが、妹が茹でてくれたシャウエッセンと一昨日焼いた手作りのパンが美味しくて美味しくて、幸せだった。こんな些細なことでも心から生きてて良かったと思わされる。
けれど、別にいつも調子が良いわけではない。こういう思考は自分へのポジティブハラスメントでもある。そうでもしないとやっていけない。自分可愛い!と思わないと外に出れないし、みんなに好かれている!と思わないと会話すらままならない。目も見れない。ポジハラで脳を騙している。
正直、過食の代わりにリスカしようとか意味不明なこと考えちゃっている自分もいる。
そんなこんなで毎日ギリで生きている。でも、ボロボロの雑巾でも命さえあればなんとか使い物になることを知った。落ち込むにもそれなりにエネルギーが必要だし、自分を痛めつけるのもそれなりに勇気が必要なのだ。今はその負の気力が湧かないだけ。
今の元気な状態がいつまで続くかわからないけど、せいぜいできることなんて毎日起きて食べて寝ることを努めるのみだろう。