ひねくれ者のくだらない話

特に深い意味はない。

新約生活書

 好きなお花をたくさん挙げられるようになった。大人になったなと思う。

 

 不眠症を治したくて薬を始めた。寝る前にたった一錠飲むだけで効果てきめんだ。もっと早く始めていれば…でも、その悔しさの刀を過去へ突きつける元気もなくすんなり鞘にしまうことができるのも大人になったなと思う。

 

 週5で働き始めて、嫌な大人を沢山見た。まっすぐすぎて一途にさえも思えるその悪意や敵意をこちらに向けられないように必死な自分が恥ずかしいような、なんだか屈してしまったような、そんな気もする。でも右から左へ受け流す。大人だから。

 

 ペコペコして腰を痛めてへとへとになって帰ってきて、浸け置きすらされていない洗い物にお出迎えされようが「フー」とか「ワー」くらいのため息ひとつで彼らと向き合う気合いが入るし、明日の朝ごはんのスイッチを予約するまでこなせてしまうし。

 

 毎日30%でも生活はやすやすと巡る。なので初っ端から100%を目指さないことをここに誓います。

二十歳の盲点

 深夜二時二十分。天井の木目と見つめ合う。夜目が利きだすと共に徐々に脳が覚醒していくこの時間が意外と好きだ。

 

 惣菜屋で注文した唐揚げが出来上がるのを待っていた。空調のよく効いた店内に油が小気味よくカラカラと沸き立つ。他に客がいないこともあってか、揚げ物を売り出す店にしては何だか物足りないような静けさがあった。油と醤油とニンニクの惚けた匂いを冷房の風が滑らかに運び、私の肩をひんやりと撫でる。

 腰を下ろした椅子の向かいには少年ジャンプが無造作に並べられた三段棚の上に、両手で軽く抱えられるほどのこぢんまりとしたテレビが置いてあった。小さいお店の小さいテレビには不思議と威厳がある。そんなことをぼんやり考えながらぽつりと呟いた。

「やっぱり人生頑張らなきゃいけない。」

 最近ずっと考えていることだった。筋トレをサボったり、バイトをサボったり、勉強を辞めたり、眠れなかったり、私を支えるものたちが一つずつ剥げ落ちて何者でもない自分が丸裸にされそうな時、もう全部終わりにしたい、という無責任な考えが脳裏をよぎるどころか、しっかりと掴んでゆさぶってなかなか離さなくなる。

 以前の私ならそのまま終わらせるようせっせと支度を整えたに違いないが、どういう訳か、もちろん良いことではあるが、今の私は極端な選択は避けるようになっていた。

 

 人間いつかは死ぬ。病気かもしれない、事故かもしれない、エンディングは誰にもわからないことだが、どうせ死ぬ。

 そう言い聞かせていたら、なんだか生きていくのはささやかでたいしたことないのかもしれない。

 いつも、生きることを仰々しく構えていた。何か立派なことをしなくちゃいけないとか、周りに甘えたらいけないとか、生きることへ条件を課していた。一体私は何を目指しているのか。死んだあと銅像にでもなるというのだろうか。

 最近は、ただ自分がやりたいことをやって、美味しいものを食べて、例え低所得でも、親と上手くいかなくても、恋人がいなくても、身の丈に合わせてぐうたら生きれば良いんだと考えるようになった。

 今までだってそうじゃないか。善し悪しは別として、自分のやりたいことは貫いてきた。これからもそれで良いのではないだろうか。その証拠に今、生きているんだし。

 

 「まあ、頑張らなくてもいいんじゃない。」

 突拍子もなく投げつけた私の人生宣言に、一緒にいた姉がそう答えた。

 姉の言葉はいつも私のぐらつきそうな心に重石を置くようにすとんと落ちる。

 いつも彼女のメンタルはぶれない。その信念は一貫していてとても潔い。諦観に近いような、何事にも期待しすぎないことが強さの鍵なのかもしれないと思った。

 一方で、私の気持ちはコロコロ変わる。ある時は白、ある時は黒、全く正反対の気持ちに強く強く引っ張られる。本当のところはどこにあるのか自分でも全く検討がつかないが、きっと、白も黒もどっちも私なのだと思う。

 

「あんたは真面目すぎるんだよ。」

 姉は続けて言った。マスクをしていたのでよく窺えなかったが、微笑んでいるような呆れているような諭すような細めた目で、やはり彼女もテレビを光と音だけで見つめていた。姉も姉なりに苦労してきたのかもしれない。

 

 真面目。普通は長所としてアピールする素質だろう。しかし私は自分の真面目さと奔放さのギャップに苦しんでいた。頑張らなければいけないところで気を散らして、きっちりとやり遂げられない。逆に、気を抜いていいところで、遠回りしてあれこれ無駄な考えを張り巡らせ考え込んでしまう。現に、自分のちぐはぐな真面目さについてこれ程頭を悩ませていることだって、無用なことではないのだろうか。そうだ。無用なんだ。考えることを考えるのはやめよう。

 

 

 私は元気にやっていると死にかけていた二十歳の私に言いたい。あれから生きて、死ななくて良かった、と何度も何度も心を弾ませたからである。

 今朝は少し寝坊してしまったが、妹が茹でてくれたシャウエッセンと一昨日作った手作りのパンが美味しくて美味しくて、幸せだった。こんな些細なことでも心から生きてて良かったと思わされる。

 

 けれど、別にいつも調子が良いわけではない。こういう思考は自分へのポジティブハラスメントでもある。そうでもしないとやっていけない。自分可愛い!と思わないと外に出れないし、みんなに好かれている!と思わないと会話すらままならない。目も見れない。

 正直、過食の代わりにリスカしようとか意味不明なこと考えちゃっている自分もいる。

 そんなこんなで毎日ギリで生きている。でも、ボロボロの雑巾でも命さえあればなんとか使い物になることを知った。落ち込むにもそれなりにエネルギーが必要だし、自分を痛めつけるのもそれなりに勇気が必要なのだ。今はその負の気力が湧かないだけ。

 今の元気な状態がいつまで続くかわからないけど、せいぜいできることなんて毎日起きて食べて寝ることを努めるのみだろう。

魔法のスタバ

君たちはどう生きるか

答えは決まっている。

食に生きるのだ。

 

 最近母がダイエットにまた凝り始めた。米麹と玉ねぎをミキサーでドロドロにして塩を加え、炊飯器で発酵させたものが減量と体に良いのだと思想強め(?)のYouTuberからレシピを得たようだ。きっと自分の脂肪もドロドロに溶かしてくれるのだと信じているのだろう。

 しかし、母のダイエットブームは毎度のこと嵐のように過ぎ去るため、ミキサーはまた哀れに埃を被りなおすことになるのが目に見える。

 そうして場所もとるし、誰も使わないから密かに何度も捨てようとしていた。

 しかし、このミキサーなんと氷も砕けちゃうということを迎えて7年目にして初めて知った。思わずこいつを抱きしめる。

 まさか…あれが…あれがおうちで作れる…フラペチーノ!!!!!

 お母さん、そういう大事なことは早く言ってよ。

 

 家から1番近いスタバは14km先にあり、尚且つめったに外へ遊びに行かない私にとって、フラペチーノは希少飲料であり、なにか特別なことがないと飲まない、というか高くて飲めない、というかたまにメンタルが妙にチキンな時はキラキラした人間たちを前に足がすくみお店に入ることすらできないため、フラペチーノは私の夢の夢の夢の飲み物である。エレクトリカルパレード

 

 すぐさま同じ食同盟を強く熱く固く結んでいる妹に伝えると、それはそれはもう大喜びで2人はスーパーへと駆け込んだ。おうちスタバができる、安上がりで低カロリーでとにかくエンジョイなおうちスタバが!

 

 

レシピ

・凍らせた低脂肪牛乳(適当)

・オレオ4枚

・低脂肪牛乳(適当)

・低脂肪生クリーム

 

ナウでヤングなオレオフラペチーノ完成✨

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心が綺麗な人にはキラキラして見えます。

 

 心を揺さぶるココアの香り、牛乳氷のひんやりシャリシャリとした食感、生クリームのもったり感、合わないはずがない。

 その美味しさに圧巻され語彙力を奪われた私たちはものの1分で飲み干し、その余韻を噛み締めながら天を仰いで「すごい…すごい…」としか呟くしかできなかった。

 しかもこれ砂糖不使用だ!すごい!と大はしゃぎで、ふと余ったオレオを1つつまんだ。

 その瞬間脳に電流が走るほどの甘さが私を覆い、すっかり夢から醒めてしまった。おかえり罪悪感。というか普通に生クリームにも砂糖入れたよね。

 

 そして、我が家のダイエッター組合では「毎日おうちスタバ」ではなく、「週1おうちスタバ」にしましょう、ということで締結した。

頬を刺す夜のパチ屋裏通り

 しなびたマックのポテトを犬みたく大きなバッグに忍ばせ、まだ灯りのついているゴルフ場や家々をフラフラと頼りにしながらちっぽけなiPhoneライトに先を示される。塩の粒を指先で転がして脂っぽくぐちゃっとなった中心を折り込むように頬張る瞬間、全てが完璧すぎて、ついでに星もちゃっかり見上げておく22時。バイト辞めたい。

 

 家から近くて時給が良いのでパチンコ屋のバイトに応募したものの、うるさいところが苦手で、パチンコに行くような人間とは無縁で、タバコも嫌いで、一体私は何を考えているのだろうか。妹を誘って偵察に行こうとしたが、店に近づけば近づくほど嫌になってきてやっぱりやめた。そのまま近くのスーパーでアイスとお菓子を買いこみ、床暖房と電気毛布の狭間で2人仲良くぬくぬくと食べ、気絶するように眠った。1時間ほどして目が覚め、面接を辞退します、とメールを送った。

 

 昨日から頭が痛い。そして切れ痔が3日間続いている。私のお尻は一体どうなってしまうんだろうか。だからといって辛いものは辞められない。このあほ寒い中、キムチチゲを食べないという選択はあまりにも酷であり、日々のストレスを発散させるための蒙古タンメン中本も欠かせないのである。辛ラーメンもノグリもプルダックポックンミョンも全て私の味方であり、一軍であり、例えお尻を失ったとしても彼らを完全に断つ生活など到底考えられない。そして今1番食べたいのは激辛の麻婆豆腐だ。

 

 トイレで苦痛に悶えながら私の頭の中では「尻穴応援隊」が甲子園の砂の上で旗と真っ白のハチマキをなびかせ、腕をやいのやいのと振り上げ汗と唾を撒き散らしエールを送る。20歳にもなってこういう妄想が辞められない。突然バスジャックされ、自分があっという間に倒すなんていう妄想も未だにしてしまう。こんなんでもまともに食って寝てバイトに行くことができる世の中捨てたもんじゃない。

 

 庭で猫が発情だか喘いでるんだかとにかく騒いでいる鳴き声が聞こえてきた。猫になりたい。猫は仕事もないし学歴もないしオシャレもないしどんな奴でも可愛い。早く猫になりたい。

ひとりごつ2

 ハイビームって喧嘩売ってんのか?

 人が気持ちよく夜風に吹かれながらリズムに乗って歩いている時に坂の向こう側から突如としてぬっと現れるデカブツにガッと照らされ目を細めるあの瞬間、脱獄犯の気持ちがよくわかる。プリズンブレイクのマイケルに深く深く同情する。

 

 ペーパードライバー3年目になってしまった。現在実家暮らしで家族の車は2台あるのだが、買ったばかりで(中古車のくせに)傷をつけられたら嫌だからと運転させてもらえずにいる。まあどのみちほぼ毎日仕事で使われているので乗る時間もないが。

 しかし、もしたった今ゾンビウイルスが世界中に蔓延して、お隣さんの犬の様子が急変し耳をつんざく悲鳴が聞こえて、なんだなんだと様子を見に行くと背後から「ウガー」と襲われたりしたら…一体どうするのだろう。きっとオートマしか運転できない私はオートマを探して彷徨うゾンビとなるだろう。

 

「中間も行くヨッ💓」

電車にいくらお金がかかってるのも知らず、平気で消せないような削るタイプの特に意義の無い落書きをする子達の途方もない軽々しさが羨ましい。

 

 「頭を強く打ったりとかして忘れればいいよ。」

なんで私はこんな奴にわかったふりをされているのだろうか。本当に忘れられるのなら今すぐ強く強く殴ってほしい。全部忘れて犬とかに挨拶して頭の中は夕飯の献立でいっぱいいっぱいになりたい。

ひとりごつ

 特に何か食べたいものもなく食券機の前で指を上下左右に往復させた。カツ丼にもハンバーグにも魚にも野菜にも低糖質にも何もそそられるものが無い。全く全て色のないように思える。

 トイレが汚いだとか水がまずいだとか、今にもエプロンを脱ぎ捨て辞めていきそうな店員の愛想の悪さだとか、サラダのゴマドレが多すぎだとか、ナポリタンが脂ぎっているだとか、みそ汁の具がわかめしかないだとか、そんなことを、深く沈んでいくものをわざわざ崖の縁から掴みかかってまで拾い上げるほどの余裕はない。お箸でポテトを掴むという行為に少しの違和感を覚えながらもはりぼての外面でかわし、ただぼーっと口に運ぶだけの機械と化す。

 つまんで、ねじこむ。つまんで、ねじこむ。しなしなのポテト、ガチガチのポテト、入口でつっかえたり頬に刺さったりもうなんだっていい。

 大阪で通っていたやよい軒、元彼と朝定食を何度も食べたやよい軒、もう来ることはないだろう。

 生理前の憂鬱だとか元彼にブロックされたとか全部忘れたくて1個1個消して浮かんだらまた消しての繰り返しだ。こんなにも不器用なせいでポテトを運ぶ機械になりきってもなりきれない。

 バス内に照らされた座席の影だとか移り変わるようにして揺れ動く外の葉の影だとかにいちいちノスタルジーを感じていて本当にキリがない。そのうち運転士の浅黒く渦巻く腕毛にでさえも何かエモーショナルな気持ちを掻き立てられるようになるのだろう。

 メイクした顔よりすっぴんがいいだとか、なんでこんな奴と私は会話しないといけないのだろうか。

 電車の窓に貼られた「UV96」ほど信用できないものはない。体感だと55くらいだ。

肛門科デビュー

 おしりが切れると、どこか遠くからふつふつと湧いてくる感情がある。そうしてどうしようもなく閉まっておきたい記憶、忘れたい記憶が徐々に鮮明に思い出され、まるでインスタントカメラのシャッターを切る時のような小さな衝撃が頭の中で弾ける。

 

 私は3ヶ月あまり続く排便時の出血に耐えかねて、ついに肛門科の門を叩くことを決心した。輝かしい19歳の夏だった。

 私の痔は今思い返すだけでもゾッとするくらい酷いものだった。出血、痛みは日を追う事に増してゆき、まともに座ることさえままならなかった。便器に滲む大量の赤色を見て、あのあしたのジョーよりも遥かに燃え尽きていた。ひとり、1畳ばかりのリングの上で。

 そんな毎日を繰り返していると「私のお尻は正常ですよ」と装うのにもついに限界がやってきた。末期にはその苦しむ表情の中に、どこか数多の修行に耐え忍んできた威厳さえも現れていたと思う。

 

 近くの肛門科をGoogleマップで調べたら、大通り沿いにレビュー評価の高い病院を見つけた。自転車で15分ほどだ。

 しかし今の私にとって自転車に乗るという行為はまさに拷問である。ペダルをせっせと漕ぐ度、冷たく固く鋭いサドルが重傷を負ったそこにぐっ、ぐっと食い込むことを想像するだけで身震いした。

 仕方なくバスで行くことにした。バスではガタガタと揺れる度に「私はお尻に爆弾を抱えています」という表情を隠せていなかった。将来はコンクリートを滑らかにする仕事をしようと思った。

 

  ネット予約番号01番、それが私の今日の名前だ。ああどうか今日限りであって欲しい。しかしその願いは叶わなかった。

 問診を済ませ、ソファに座っている間もずっと、私の尻はその憂鬱を訴えかけることを断じてやめなかった。もはや柔らかい物さえも凶器となっていた。

 私はもう泣きそうになっていた。なんで私が輝かしい成人前のラストサマーにこんな惨めな思いをしなければならないのだ。

 ふと待合室の奥にあったウォーターサーバーが目に入り、ひとまず水を飲んで落ち着かせることにしようと駆け寄った。しかし、その時の私は子供の親指くらいしか入らないであろう小さな小さなコップにさえどこか哀れみを感じるほど、これから始まる診察を前に心臓が乱れ打ち、胸がはち切れそうだった。水は3杯飲んだ。

 

 「1番の方、どうぞ。」

 ついにこの時がやってきた。いくら胃カメラのポスターを眺めていても世界は変わらないし、当然私のお尻も治るはずがなく、決心のつかないまま診察室に導かれた。

 医師は中年の男性だった。話す度にそこに花びらが散るような、朗らかで柔らかい雰囲気があった。しかしいくら優しそうでもこの後お尻をくまなくほじくり返されることは確定している。この世に神も仏もあるものかと改めて思うのであった。

 

 「それでは下着を下ろしてくの字のかたちで横になってください。」

 準備が整い、シャッとカーテンは閉められた。この滑らかな断末魔は誰かに届くのだろうか。

 「少しヒヤッとしますよ。」

 全くヒヤッとは感じなかった。水で洗うのでさえ激痛が走るそこはもう、ヂリヂリと燃える感覚しか残っていなかった。だんだんうまく息ができなくなってきた。

 「では、見ていきますね。」

 本来出口であるところに入口として何者かが侵入してくる。次の瞬間、私の頭の中に大マゼラン雲が広がった。チカチカとパチパチとその尊い命を燃やしながら大マゼラン雲がどんどん手の届かない遠くまで広がってゆく。羊羹みたいな艶のある枕を固く握りしめ、「ああ」と、小さく微かに悲鳴をあげた。

 「一旦休憩しましょうか。」

看護師の一声でひとときの休憩を挟んでもらった。

 私はもう笑うことしかできなかった。笑って、自分のお尻の運命を他人に託すことを受け入れた。もうこれからの人生、怖いものは何も無い。

 

「切れ痔ですね。ほぼ慢性化しています。」

 医師はポップな便のイラストが描かれたスケール表を指さし、私の普段の便の硬さを尋ねた。便が硬いとお尻が切れる、かといって柔らかすぎるのも良くない、とのことだった。そして左以外の上下右が全て切れている、とポップな尻穴の絵を描いてもらった。そうやって突きつけられた現実も、尻をほじられたことに比べたら大したことないように思えた。

 

 「薬が切れたらまた来てください。」

一瞬、耳を疑った。またあの地獄を味わってくださいと、今確かにそう聞こえたのだ。私はポップな笑顔で颯爽と去るところが、その判決を受けて体が鉛のように重くなり、暗く深い孤独な海に沈んだような顔で病院をあとにした。

 

 そうして2週間分の便を柔らかくする飲み薬と注入軟膏を19歳の女の部屋に持ち帰った。

 私は8千円で購入した大きな全身鏡を持っていた。白のペンキが塗られた木材で枠どられている可愛い可愛い鏡だ。

 しかし私はこの鏡の前で風呂上がりに尻を懸命に広げ、見たくもないものを見て、本来出口であるそこに軟膏を直接注入しなければならない。それが切れ痔を背負う者たちの厳しい試練である。

 最初はどんな姿勢をとれば入れやすいのかと、試行錯誤の日々であった。鏡の前で尻を掴んで広げながらここでもない、ここでもないと尻を軸にしてグルグル回転していた。

 恥なんてものは、初対面の大人に尻をほじくられることに比べたらごく僅かなものである。やがて1番しっくりくる姿勢を見つけ、これを「お猿さんのくつろぎポーズ」と名付けた。なるべくポップな気持ちで治療を進めていった。

 薬の調整も最初の頃が難しく、量が足りなかったりお腹を下したりしてしまうことがあったが、徐々に適量がわかってきて、薬が切れる頃には出血はぱったりとなくなっていた。

 ごく普通の排便がいかに素晴らしく有難いことか、私がこれから出会う全ての人に教えようと思った。

 次回からの通院も、あれだけ絶望していたことが嘘かのように難なくこなせるようなり、ぴったり3ラウンド目を最後にして、晴れやかにリングを降りた。

 

 そして現在に至る。慢性化してしまった切れ痔は完治することはない。私は辛いものが大好きで、冷え性で、シャワー族なので便秘になることも少なくない。特に生理前は便秘になりやすく、月に1度はあの19歳の夏を嫌でも思い出させられてしまう。

 しかし大量に出血する程酷くはないので市販の非刺激性下剤をたまに飲んで調節できている。

 お尻に悩んでいる人はぜひ肛門科を訪ねてみてほしい。早い段階で治さないとこの先ずっと苦しむことになる。麗しき快便ライフを望むのなら、医師に尻を広げることなど些細なことなのである。本当に。