ひねくれ者のくだらない話

特に深い意味はない。

水戸黄門にはなれない

しゅごキャラはついていない。

大統領にもなれない。

もうすぐ20歳になるというのに。ショックだ。

 

 たまたまつま先にぶつかった小石がカラカラと転がって狭い側溝の口にポトンと落ちた時、なんだか申し訳ない気持ちになる。でもちょっとラッキー。

 

 どん底だった時、何とか助かりたくて本気で尼さんになろうと考えた。尼になる方法だとか出家だとかを本気で調べることは多分病んだら1度は通る道だと思う。こんなふうに人生をなめてはいけない。

 

 イヤホンを耳に入れて電車に揺られていると、ふと外の景色を見たくなる。目線をスマホから車窓へずらすとき、向かいに座る乗客の目を見ないようにあくまで自然にすっとスマートにやるぞと決めてもそれさえ上手くいかない。バチッと目が合って気まずい。何も上手くいかない。

 

 電車に乗る瞬間、バスに乗る瞬間、病院の待合室に入る瞬間、カフェに入る瞬間どうしてあんなにじろじろと見られるんだろう。スカートがめくれてパンツが丸見えなのだろうか、顔が変なのだろうか、風に煽られて髪の分け目が7:3になっているのだろうか、もしくは私の頭上から隕石が迫ってきているのだろうか。 

 「痛かったら手をあげてくださいね。」

歯科衛生士さんのプライドを傷つけてしまわないだろうか…。私の自意識過剰は日を追う事に加速している気がする。

 

 電車から降りてもまだまだ気は抜けられない。改札をスムーズに通るために歩き進めながら脳内でICカードをタッチする瞬間のシュミレーションする。「ピッ」のこの瞬間に何秒かけるか、カードの持ち方、残高を見るか見ないか、歩く速度をどの地点からどのくらい遅くするのか、無事クリアした後の涼しい顔まで細かく。

 私は今まで通った改札の数は覚えていないが、博多駅で新幹線口の改札を出た時だけははっきりと覚えている。それまで過疎地域のぬるま湯にどっぷり浸かっていた私は、後ろに大行列を率い皆がせかせかと歩くというシチュエーションにとてつもないプレッシャーを感じていた。しかし緻密なシュミレーションと今までの成功体験から来る自信のおかけで堂々とゴールできた。手汗はびっしゃりだったけど。

 

 私みたいな人は冗談抜きに全体人口の10%以上はいると思う。そういう人のために【改札〜のんびり〜】みたいなのを別途設置してほしい。気負わず、手に汗も握らず、時間に余裕がある人のための改札。

 でもそんなの作るお金と時間と労力があるなら保育園を増やせとも思う。

 

 小学校から家に帰りテレビをつけて真っ先に観るのはEテレではなく水戸黄門だった。だんだんと画質が鮮明になり、音質がクリアになり、ヅラの分かれ目までもがはっきりわかるようになると観なくなってしまったが。

 水戸黄門になりたかった。身体能力の高い仲間がいて、世の中をよくして、悪者は土下座でひれ伏す。憧れでしかない。

 

 もしあの紋所を電車の向かいの席の人々の目に入らせることができるのなら、私が車窓から流れる景色を気楽に眺めることができるよう、ぐっすりと寝入って頂きたい。