ひねくれ者のくだらない話

特に深い意味はない。

感情にサランラップ

 深夜1:23に偶然時計を見た時は少しラッキーな気持ちになる。

 

 仕事に慣れたのではなく、仕事をして疲れることに慣れたのだと思う。なんだか最近辛いことにも慣れてしまった。

 夜が明けることに絶望して泣くことも、自分が死ぬことを勝手にあれこれ妄想して泣くことも、あまりなくなってしまった。涙を流すのにもエネルギーがいるので。

 

文庫本を棚に収める瞬間、一週間ぶりに外に出る瞬間、通り雨が降り注ぐ瞬間、カエルが跳ねる瞬間、掃除機をかけ終わった瞬間、恋人と目が合った瞬間、お湯が沸いた瞬間

 

 疲れていても習慣が私を癒す。つい先程まで布団から出られずトイレすら我慢していたのに、一度台所に立てばたちまち考える間もなくあれこれと手や足が動いてる。

 そうして時間が経つのも忘れて生活をする、染み付いた習慣。

 

 カラスの糞が私の体ぎりぎりに落ちた瞬間、生理のきた朝、恐る恐る布団をめくり彩度の欠けらも無い真白を見た瞬間。なんて幸福なんだろうと微笑む。

 

 眠れない夜は瞼を閉じていてもずっと白目を剥いているような違和感がある。上瞼と下瞼が磁石の同極のように退け合うのだ。

 私は諦めて真っ暗闇の中カーテンのひだを数えてみたり、輪郭のぼやけた天井を隅から隅まで泳いでみたり、そうしてるうちにいつの間にか朝が来る。朝飯も昼飯も食べられず洗濯機をまわしお茶を沸かしまた消灯。

 たった一晩眠れなかっただけで私の習慣がすり落ちていく。

 

 死にたい。それが少しでもよぎればどうやったって無視できず、脳みそをぎゅっと掴まれているような、喉の真ん中辺りから心臓にかけて風船が膨らんでいくような感覚に襲われる。

 こうして初見のロボットアニメ第4話並に延々と気怠さを背負わされたら、回復するのに一、二週間はかかってしまう。

 

 一回復に一サランラップ。感情にサランラップを何枚も何枚も重ねてじっと我慢することだけ上手くなりたい。

 

 週五で働くなんてできるのだろうか。