ひねくれ者のくだらない話

特に深い意味はない。

焼肉や

 彼氏と付き合って1ヶ月も経たないくらいのとある冬の日、叙々苑へ連れて行ってもらった。

 まさかあの叙々苑へ行くなんて知らされていなかったので、手持ちの服の中で1番高いが半額セールかつウン年前に買ったこの勝負服が急に恥ずかしくなり少々縮こまった。

 

 私は今まで焼肉というものは場末のすたみな太郎とフローリングに新聞紙を敷いてカセットコンロを家族でぐるりと囲み1Lコーラを片手にせっせと貪り食らうサムギョプサルしか知らなかった。そのため、恋人とはいえ知り合って間もないよそよそしい男と高級焼肉店の暖簾をくぐるあの瞬間、いや、もう「叙々苑」の文字を捉えた瞬間から私の緊張は限界に達し、脳内では何故か中学生のとき歴史の教科書で見た「ええじゃないか」と踊り狂う人々がご丁寧にメロディ付きでサイレンのようにグルグルと回りだした。

 

  「いらっしゃいませ。」

 滑らかで高そうなスーツを身にまとい、胸元に黄金の名札をピカピカ光らせた店員にうやうやしく案内され、私は相も変わらず「ええじゃないか…ええじゃないか…」と1歩1歩ちんたら進んでいった。そうしてネカフェの半個室のような席に到着したカップルとええじゃないか一行は、やれコートをかけて布を被せるだの、やれマスクケースだの、やれ紙エプロンだのなんだのと、まだ何も頼んでないのに至れり尽くせりだなあと関心したものである。

 

 友人が少なく、その中でも直接会うような友人が指3本程度で足りてしまうような私は、「キリッ」という効果音の似合う初対面の店員さんと出会ってたったの数分で沢山やり取りをしたのでなんだか疲れ果ててしまい、早く肉を食べたいという思考が脳内の支配勢力をぐんぐん拡大して、いつの間にかええじゃないか一行は踊りをやめていた。

 彼と縦長のランチメニューを広げる。ランチとはいえびっくり高い。しかもこんな雀の涙ぽっちで…副菜と肉、どっちがメインかわからんなこりゃ。一瞬、私の大好きなパルムを何個買えるのか計算しかけたが、まあよく知らないけど焼肉ってこういうものだよな、と自分を納得させた。

 どういう訳か彼が奢ってくれるらしいので遠慮しい(という名の控えめで良い子だなあと思われるための策)の私は1番安いサービス焼肉ランチを選んだ。

 そしてまた店員にやれ米の量だのやれニンニクの有無だの細かく尋問され、架空のダイエットのため米を減らし、もはやそれは焼肉ではないといっても過言ではないニンニク抜かしという大罪の下、ボケた焼肉ランチを頂くことになった。

 彼と向かい合って他愛もない話をしながら、「ああ、今日はメイクが上手くいかなくてファンデーションがモロモロになっているだろうし、個人的な研究結果のもと、この薄暗い絶妙な照明にあてられる場合は私のデカ鼻が浮かび上がり前髪の影がギザギザと刺して物凄くブスだろうな。今すぐにでもスマホで顔を確認したいけどスマホ見たら失礼だよなあ。」などとぶつくさ考えながら肉を待っていた。

 

 こんな情緒不安定でいるし彼ともうまく話が続かず気まずくなってきた。私は品の欠片もなく空腹でソワソワし始めた。あらかじめ紙エプロンを身につけてまだ何も乗っていない網に熱狂的瞬間を空想していると、滑って頭をぶつけたら綺麗に死ねそうなツヤツヤのテーブルにお肉が堂々と登壇した。さあ、ようやくこの時がきたのだ。

 ご飯と豆腐と葉っぱとスープとナムルとキムチとタレとデザートまで…次々と運ばれてくる。そして肉。圧倒的存在感。メニュー表ではちっぽけなもんだと鼻で笑っていたのに、どういう訳か上から見ても下から見ても全てが肉の脇役であった。

 ひと通り脇役を腹に収めた後、触ったことのない小さいトングで芸術作品のように整列した肉を1枚、恐る恐るつまみ、網にそっと乗せた。

「ジュワアア。」

ピンクが一斉に弾けていく。これが叙々苑の焼肉か。なるほど、音が違う。多分違うけどそう感じた。

 およそ1分かそのくらいでひっくり返した。とても薄い肉だったので網に少々引っかり、この肉片が勿体なくて、咄嗟にいくらになるのか計算しそうになった。それから裏面を焼いて30秒くらいでタレの入った皿に入浴させた。どう見ても生焼けだったがもう待ちきれないし腹の虫も早くまともなタンパク質をくれとギャーギャーうるさいのでお腹を壊したとしてもまあよかった。しかしそれを見た彼に「まだ早いよ!」と叱られ、渋々火炎地獄へと帰した。焼肉を心得た彼の手さばきを観察して焼き加減というものを学び、片手には白米をスタンバイさせ、ついに肉を頬張る。

 「ジュ…ジューシー…。」ああ、ジューシーとはこういう事なのか。お肉の脂がするりと舌を撫でて歯が手を叩いて喜ぶように咀嚼しもう言葉にならなかった。

 

あれよあれよと食べ進め、3か4枚目に突入した辺りで焼肉初心者の私はふと疑問が思い浮かんだので、焼肉プロの彼に聞いてしまった。

 「これって何肉なの?」

 今思えば、声のボリュームをもっと下げるべきだった。まるで山賊が死闘の末に金銀財宝をゲットしたかのように、私はこの宝石のような肉たちに舞い上がっていたので、普段より少し大きな声で話してしまったと思う。とんだ恥さらしだ。もしあの時近くに店員がいてこの会話を聞いていたのなら、バックヤードにいる社員やバイト、その家族や友人にまでみすぼらしいコートを着たとんだ貧乏人がいたと、あの店舗が潰れるまで語り継がれるかもしれない。

 彼は私からのまさかの質問に数秒固まって、

「牛肉に決まってるじゃん。」

と笑った。そう言われても、肉の部位は「タン」と「肩ロース」と「シャトーブリアン」くらいしか知らないし、焼肉屋なんだから豚肉だってあるはずだし…

 ううん、でもまあ確かに3千円のランチで豚肉が出てくるのなら誰も行かないし、そんなことよりも3枚か4枚か味わっておいて私は牛肉の味というものがわからなかったのか。

 ちょっとショックを受けたが、自分でもこのアホさに面白おかしくなって一緒にヘコヘコ笑い合った。

 

 私はそれから彼に焼肉の魅力を叩き込まれ、食わず嫌いだったホルモンが大好きになった。もしかしたらあのとき見分けもつかなかった牛肉の誇りを傷つけた恨みに取り憑かれたのかもしれない、とパルム約40個分のレシートをゴミ箱に捨てた。