ひねくれ者のくだらない話

特に深い意味はない。

創作⑴

 「40分の人、大丈夫でした?」

 「まあ、はい。」

 全く大丈夫じゃなかったがもう思い出したくもないので愚痴るのは辞めておいた。どうせNGを出したのだから二度と会うことも無いし。ショートコースのフリー客なんてまともに相手するだけこっちが痛い目に遭う。その前提から一言会話をするだけでわかる、腐った人間性。ああ気持ち悪い。

 

 男は右にウインカーを出す。月夜に照らされた曇り空と夜の街のネオンにカチカチという音だけが仲間はずれみたいだ。

 「年末年始どっか遊び行ったりするんすか?」

「いえ、特には。あ、でもクリスマスには彼氏と東京へ行くんです。」

 監獄から出て束の間、大切なシャバイベントを思い浮かべ思わず頬が緩んだ。

 「へー、いいっすねー。いやー、それにしても1年って早いですよね。自分が10代の頃は30、40代のおっさんに歳とったら本当一瞬だーなんて言われて信じられなかったんすけど。」

「そうですねー。」

 

 どうでもいい。ふっと息をついて1年前を思い出した。確か三が日は正月ボーナスのためにバイトしてたっけ。

 福袋を売るために喉が枯れるほど大声を出して、歩数計アプリのメーターが異常値を叩き出すほど歩き回って、左腕にはめた腕時計を何度も見ては落胆し履きなれたニューバランスのスニーカーさえはやく家に帰って脱いでくれと言わんばかりに私の足を圧迫していた。

 自分はあの頃から何か変わっただろうか。

 

 「悩みが減るからですかね?」

「え?」

 男は左にハンドルを切って聞き返した。

「いや、10代の頃って思春期特有の悩みとか進路のこととかで悩むじゃないですか。高校卒業してからそういう悩みが無くなったので私もこの1年物凄く早かったなあって。」

「えー、悩み無いんすか?」

 意外そうに男は言った。

「うーん、あんまり無いですね。」

嘘だ。少なくなったと言えば良かった。

「まあ、あとはあれじゃないすか?子供の頃って夜更かしよくするから。大人になったらすぐ寝ちゃいますもん。」

「あーわかります。私も去年の大晦日は12時丁度に寝ちゃいましたし。」

「えーマジすか!」 

 

 どうでもいい。

 冷たい合皮のシートに貼りついた疲労を剥がすように車を降りた。車内に充満していたタバコのにおいは男と共に跡形もなくふっと消え去り、こめかみから力が抜けていく。

 仕事終わりはアパートの階段を一段一段登るごとに服が一枚一枚脱げていくような解放感がある。最後に重たい玄関ドアで今日の蓋をした。

にん じん

 私は一日に最低一食は自炊をする。お嫁に行けないくらいの頻度とクオリティで。

 特にそうしようと意識している訳ではないが幸薄生まれ薄味育ち、外食やコンビニ弁当がしょっぱくてしょっぱくてしょうがないので面倒だがキッチンに立つ。

 

 料理をするためには当然レシピがある。その材料の中で一番厄介なのが「にんじん」だと私は思う。

 大抵のスーパーでは1袋3個入りで売られていて、せいぜい3日の命だと考えると1〜2人前を作るにしてはやや多い。

 カレー、シチュー、豚汁、皿うどん、肉じゃが、ナムル、、、あんまり思いつかなかったけどまあとにかく自炊する上で私の壁はこの「にんじん」なのだ。

 「にんじん 1/2本」

これやめろ。

 単純にレシピを2倍にすれば、

「にんじん 1本」

と気持ちよく使い切ることができる。

 しかしそんな毎日いっぱいにんじん食べたいだろうか?私は食べたくない。

 にんじんは火が通りにくいし米とそんなに合わない。持論だけど。

 仮に、にんじんをダイレクトに感じる、にんじんが主役の主菜があるとして、誰がホカホカの白米とのマリアージュを感じるだろうか?

 例えば肉じゃがは名の通り「肉」と「じゃがいも」、カレーは「ルウ」によって米が進むのだ。にんじんの入る隙は無い。もはやにんじんは色彩担当だと言っても怒られないと思う。

 

 かといって私はにんじんが嫌いなわけではない。

実を言うと何もつけずに生でそのまま齧るのが一番好きな食べ方だ。

 噛む度にんじんの甘味と瑞々しさが口いっぱいに広がり、コリコリと軽快な音を鳴らすのが楽しい。なんとなくにんじん農家さんが喜びそうな食べ方で自己満足的に好き。

 

 直射日光の当たらない風通しの良い場所で刻一刻とおばあちゃんの手の甲みたく柔くなっていくにんじん。寂しそうなにんじんを見つけた。

 二口コンロをフル稼働させ背中ら辺についている第三の目で注意しつつゴミ袋の上でチャカチャカとピーラーを当てる。

 するりと一皮剥けて滑らかになった3本目のにんじんがオレンジ色を滴らせながら手の中にいた。

感情にサランラップ

 深夜1:23に偶然時計を見た時は少しラッキーな気持ちになる。

 

 仕事に慣れたのではなく、仕事をして疲れることに慣れたのだと思う。なんだか最近辛いことにも慣れてしまった。

 夜が明けることに絶望して泣くことも、自分が死ぬことを勝手にあれこれ妄想して泣くことも、あまりなくなってしまった。涙を流すのにもエネルギーがいるので。

 

文庫本を棚に収める瞬間、一週間ぶりに外に出る瞬間、通り雨が降り注ぐ瞬間、カエルが跳ねる瞬間、掃除機をかけ終わった瞬間、恋人と目が合った瞬間、お湯が沸いた瞬間

 

 疲れていても習慣が私を癒す。つい先程まで布団から出られずトイレすら我慢していたのに、一度台所に立てばたちまち考える間もなくあれこれと手や足が動いてる。

 そうして時間が経つのも忘れて生活をする、染み付いた習慣。

 

 カラスの糞が私の体ぎりぎりに落ちた瞬間、生理のきた朝、恐る恐る布団をめくり彩度の欠けらも無い真白を見た瞬間。なんて幸福なんだろうと微笑む。

 

 眠れない夜は瞼を閉じていてもずっと白目を剥いているような違和感がある。上瞼と下瞼が磁石の同極のように退け合うのだ。

 私は諦めて真っ暗闇の中カーテンのひだを数えてみたり、輪郭のぼやけた天井を隅から隅まで泳いでみたり、そうしてるうちにいつの間にか朝が来る。朝飯も昼飯も食べられず洗濯機をまわしお茶を沸かしまた消灯。

 たった一晩眠れなかっただけで私の習慣がすり落ちていく。

 

 死にたい。それが少しでもよぎればどうやったって無視できず、脳みそをぎゅっと掴まれているような、喉の真ん中辺りから心臓にかけて風船が膨らんでいくような感覚に襲われる。

 こうして初見のロボットアニメ第4話並に延々と気怠さを背負わされたら、回復するのに一、二週間はかかってしまう。

 

 一回復に一サランラップ。感情にサランラップを何枚も何枚も重ねてじっと我慢することだけ上手くなりたい。

 

 週五で働くなんてできるのだろうか。

シャンプー&リンス

 「オールインワン」

 なぜこんなに不快なのか。ちゃんと仕事してんのか。

 わからない。

 

 田舎のレジ打ちのパートのおばちゃんくらい気楽さが欲しい。

 あのたった数分間で勝手に気楽だと決めつけるのは浅はかかもしれないが、顔見知りらしいおばちゃんとくっちゃべってお願いした箸や袋を付け忘れられて、それが私にとって心地良いのだ。

 そこの空間だけゆったりした時間が流れているようで、生き急いでる私にとってはアルプス山脈の放牧を連想させる。

 

 特に心に余裕のない時は監督のオナニーのような映画を観て無理やり自分と重ねて涙を絞り出し、寝たら忘れる程度の余韻に浸っている。

 

 パチンコで勝ったお金で買われること、干上がった川に捨てられたペットボトルのラベル、汚いにも程があるエコバッグ、焼肉店の窓枠のほこり、全て見て見ぬふりをする。

 

せいぜい太田胃散を山賊飲みすることくらいしか日常に刺激がない。

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恐ろしいほど使い道が無いということで話題です。

買ってくれたら踊っちゃう。

 

他にも色々と描いてるので第2弾にもご期待ください❣️

 

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あめんぼあかいな

 私は滑舌が悪い。喋り方がアホっぽければアホっぽいほどモテると思っていたから。

 

 「声が可愛い」と言われることが多いけれど、いざ録音して聴く自分の声はとてもネチョネチョしていて未完成の海苔みたいだった。

 モヤモヤした話し方が気持ち悪い。

 

 小学生の頃、国語の授業で音読する時間が好きだった。

 空調の効いていないシンとした狭い教室の中、冷たい木の床を上履きで撫でて「ふたりは ともだち」を読み上げるあの時間に私の承認欲求を集中させた。

 噛まないか心配になってきてこの緊張を誰にも感じさせまいと精一杯背伸びした声色が黒板から私の心臓に跳ね返ってくる。クラスの気になる男子を気にしつつ先生の顔色を伺いつつ、私をいじめているあの子よりも優れた音読をかましたい一心。

 

 私は承認欲求の化け物だ。親は帰りが遅く、部活もうまくいかず、洗濯物を干したり畳んだりしても誰も褒めてくれないし、せっかくできた友達には束縛して嫌われ、口を開けば不幸マウントが止まらない。

 

 「私は親に愛されていないんじゃないか」と親に買ってもらったハンカチで涙を拭うほど寂しがり屋だったのに、今では1人で映画を観て美術館に行って定食を食べて締めにカフェでブレンドコーヒーを啜るのだから案外やっていけそうだと思う。

 思春期の頃より秋冬の寒気にも寂しさを感じない。寧ろこの時期特有のノスタルジーが大好きだ。ノスタルジー中毒者だ。

 

 それなのに寂しさでたまに過食する。私は孤独の呪いにかかった孤独病で、埋められないものを物理的に埋めて、苦しさに胃もたれをしても一人。

 「孤独」なんて言葉を作った奴、お腹壊せ!

 

 ムカつく奴には心の中で

「下痢とかで苦しめ」

などとひたすら念じる。

 

絶妙に不味そう、よだれ鶏

こういうものから偏見をなくしていきたい、JAPAN

The End

 地球、爆発すればいい。破片に乗って私は宇宙旅行するから。

 

 快晴の下、凸凹とした道をクロスバイクの細タイヤでその速さと軽さをさらけ出し、木の影を転がる。

 散歩している人々が枯葉を踏む音、キラキラ光る水面、眩しい太陽が私を通過する。この瞬間、もしかして私は今素っ裸なのかと焦るくらい解放感があった。

 口笛は吹けないけれど、何となく心の中で吹いているような感じ。私にとっては新品のルーズリーフに新品のクルトガを滑らかに押し当てたような快さがあった。

 

 カーネーション「The End of Summer」という曲が大好きで、この季節によく聴いている。

 

 365日秋の国があればそこに永住したいが、そこまでするならば敢えて火星とかに住みたい。

 でも火星は個人的にビジュアルがあまり好みではないので、エウロパ冥王星、マゼラン星雲、この辺りに魂だけでも飛ばしたい。