ひねくれ者のくだらない話

特に深い意味はない。

相関図の隅の隅

 濃い人生とは何なのだろう。心が寒い。ふと私は旅をしなければと思った。

 扇風機のくすぐるような弱風で横髪が頬をチクチクと弄る。ゆっくりとふくらはぎの肉を冷やしながら、ひたすらに寒い所へ行きたいと思った。

 

 私は心が死んでくると悪夢を見る。大抵見知らぬ男にレイプされる夢だ。見知っている場合もある。

 夢の中で、初めは男に抵抗することも何か感じることもなくただぼうっとし、その行為をさせる。

 しかし、だんだん堪らなく嫌な気持ちが抑えきれなくなり絞り出すように大きく叫び声をあげて、文字通り飛び起きる。

 激しい動悸、脇や背中や額の汗でシャツが肌にびっしりと張り付き、それが先程までの男の名残かのようで気持ちが悪い。

 

 中三の夏に遺書を書いた。当時から「自殺」に心酔していた私は遺書を書くことがそれの始まりだと思った。

 何度電車に轢かれたいと思っただろう。何度赤信号で飛び出そうと思っただろう。何度首を吊りたいと思っただろう。

 何度も願ってもまだ今後の人生がどうのこうのああだこうだ。夜起きてどこかで刷り込まれた希望になんとなくしがみついて朝眠る。

 

 ただどうしようもないほどに死にたくなって家を飛び出した時に見た、夕焼けや星空、夜明けは一生忘れられないくらいに綺麗で怖くもあった。自分が弱くちっぽけな存在だと突きつけられたことに不思議と安心できた。

 

 15:30

 私は運ばれる。今日もカーナビは殺されただの盗まれただのと暗いニュースを流している。

 私は助手席に座っている。黒のバッグの取っ手を強く掴み、白い縫い目を数えてほつれた繊維のシルエットに視線を上から下へ下から上へ往復しているうちに目的地に到着する。

 感情はない。感情はないのだからこれから辛いことや楽しいことはない。淡々と黙々と工場のベルトコンベアみたく、私はロボットだ。何か感情を貼り付けるとするならばこれが正しい感情。

 

 

 24:00

 工場長からの電話。私は人間に戻る。オウム返しだけの会話を済ませ、送りの車を降りたら欠けた月から星が零れて降り注ぐ。この景色を閉じ込めて一生胸に抱えていたい。

 部屋が全部宇宙模様ならいいのに。バストイレ別、二口コンロ、ドラえもんのタイムマシン付き。他人の人生の恥ずかしい過去にワープして大笑いでもしたいものだ。

 

 もし、「余命二年」だったら何をしようか。地球一周はギリギリ叶うかも。

 好きな人にたくさん会うこと、好きなものを沢山食べること、好きな映画や音楽や本に沢山触れることも外せない。

 まあ余命二年じゃなくたって、いつ死ぬかわからないし、今この瞬間から好きなことすればいいのにな。所詮マットレスの上で首の位置を忙しなく変えながらスマホをポチポチしているだけでこの世を悟った気になっている。

 

 私は私の物語の主人公なのだろうか。他人任せに生きて、相関図の隅の隅にのそのそと移動して、ここが楽なんですよといった顔で座っているのが私。

 でも主人公はなんでもヘビーだからなあ…ジョナサン・ジョースターのような勇気と根性が欲しい。

付けたら寒い。消したら暑い。

 時刻は16時半。埃を絡めた扇風機の「中」の風に分厚いダークブルーの遮光カーテンが揺らされる。窓ガラスから僅かに漏れた太陽の陽は一定のリズムでショートパンツから伸びた太ももを青白くチラチラと煩わしく照らす。買ったばかりの少し硬いマットレスの上で眠りすぎて怠くなった体をゆっくりと右に返した。

 ふっと一息つくと、もわもわと覆われた肌を空気から感じた。喉が渇いた。キッチンまで大股10歩だというのに何故こんなにも面倒なのだろうか。

 

 首元が痒い。この服の素材が好みではない。暑い。日焼け。嗚呼痒い。

 そんなこんなで野口英世2人とナミダの海を超え、巷で有名なアネッサの日焼け止めを人生で初めて買った。

 なんだこの伸びの悪さは…

 普段使っているのは「ウォーターベース」といかにも涼しげに爽やかに謳う商品で、それがいかに薄まっているのかを理解した。それはそれで塗り直しが容易で好みなのだけれど。安くて大容量はいつだって味方だ。

しかし流石のアネッサ様。中学野球部員の腕と化した私の肉付きの良い両腕にやれやれと終止符を打ってくれたようだ。ありがとうございます。

 

 それにしても梅雨より梅雨な天候が続きそうだ。ついつい日焼け止めをサボってしまう。

 気温が下がったので久しぶりに氷枕無しの夜を過ごした。

 氷枕もメーカーによって様々である。私のおすすめはアイスノンソフト。程よい冷え心地、持続力満点。一家に3個は置くべき…

 私は何故か代々自室にエアコンが無いためアイスノン・扇風機・半裸で灼熱の晩と闘っている。

 それでも洗濯槽臭いタオルに巻かれた冷凍庫臭いアイスノンを悶々と感じ、熱風を送り続ける扇風機に殺意を向けるくらい暑い夜がある。こんな時は廊下に頭を向け気持ち冷えたヨガマットの上で大の字になる、令和。

 

 部屋にアリが湧いた。

 懸命にコロコロで1匹1匹延ばしたそれが頭から離れず、目を瞑ると蟻たちに恨まれて身体中這われているような感覚が襲ってくる。ああ気持ち悪いと鳥肌をたてて、ひたすらに「コロコロ…」という音だけを熱帯夜に響かせていた。

闇うがい

 深夜2時半のトイレ

 冷凍庫の閉め忘れ

 たくあんと舌を食い間違えたとき

 寝返りで意図せずお隣に壁ドンしてしまったとき

 鼻うがいと同じくらいこわい。

 

 自己肯定感が爆上がりした日は眠れない。私は今完璧にテンションがハイになっている。これが筋トレパワーというやつか…

 

 ホラー映画が苦手だ。

 私はぼちぼちの映画好きだが今まで生きてきて記憶しているホラー映画は、元彼と吊り橋効果を狙うための下心で観た「IT」しかない。

 びっくり系がとにかく苦手で、身体が生まれつきホラーに向いてないのだと思う。

 

 特に邦画ホラーが本当に無理だ。Netflixで流れてくるパッケージすらも察知した瞬間は薄目に切り替える程に。さ〇こ、り〇ぐ…文字も見たくない。

 その唯一観た「 IT 」は怒涛の終盤ピエロが浮いて発光しSFちっくになったお陰か多少笑えた。洋画ホラーはまだマシな部類かもしれん。

 

 驚かし系といえば私はアナコンダシリーズが大好きなのだが、もう何十回と視聴したため今更驚くも何もなくなってしまったので平気で視聴できる。

 ぬらぬらの巨大なアナコンダに愚かで不運な人間が勢いよく喰われる気持ちよさを堪能するためだけに観ている。「結局人間が一番怖いよね」という世の真理を確認するのにも相応しい映画だ。

 

 私はホラー映画マニアが羨ましい。眠れない夜1人でふと思い立ってホラーを観られる人がこの世に存在するのか?興味はあるけど踏み出せないもどかしさと葛藤しつつ現実の恐怖にまずは1つ打ち勝つのもアリかなあと思った。

 

 それまで眠れなかったら深夜2時半の暗闇のトイレで鼻うがいします。

雪を見よう

 茶を沸かす温かい音、湿った床、ファンデーションの匂い、ユリの花のむせるような匂い、父親の香水の匂い、母のハンドクリームの匂い、妹のヨダレ痕、訳の分からない爺と婆の写真に向かって膝をつき頭を下げた時のマットのカビ臭さ、フラッシュバック鬱。

 

 雪が見たい。北海道へ行きたい。365日いつ北海道へ訪れても雪が見れるという大間違いの潜在意識が私にはある。大阪より北へ訪れたことがない私にとって関東からはもはやファンタジーの世界なのでそれで良い。

 もう暑さにはうんざりなのだ。まだ7月の初めだというのに外を5分散歩しただけで身体中から汗が噴き出す。しかし近年は北海道でもわりと夏は暑いらしいのでもう地球は終わりだ。

 

 夜眠れない時、急に激しめの雨が降り始めるとテンションが上がる。引きこもっていても、こうして自然を感じることができるのは防音性0アパート唯一の恩恵だろう。

 なんと雷も鳴り始めたではないか。地球のサプライズ精神は素晴らしい。

 

 暗闇の中でiPhoneの光 feat.稲妻といった具合の中、小さい頃をぼんやりと思い出す。

 不愉快な空間で不愉快な思いをし不愉快な人間に囲まれ不愉快を募らせたあの時間。

 たまに電撃のようにあの頃の感覚が身体中を走って気分が悪くなる。宗教二世の苦しみ。

 そんなことを思い出してもしょうがないのになあ。

 

 昨日、帰れない夢を見た。電車の行先を調べても調べても出てこない。友達はみんな帰って行くのに私だけ一人ぼっちで半べそをかきながらYahoo乗換案内で何度も何度もルート検索するが一向に正しい帰り道は示されず、だんだん日が落ちていく。

 目覚めてすぐ調べた夢占いには、誰にでも想像がつくありきたりなことが書いてあったのでそっと閉じた。

 過去のことへのうんたらかんたら。まあそうだろうなあ。でも私はその電車に乗れなくて良かったと心底思う。過去になんて微塵も戻りたくない。ファック過去。ついでに言うと未来へも行きたくない。現在が大事だし落雷にウキウキしてる現在を見逃したくない。

 

 明日の用事をすっぽかし、どうしても北海道へ行きたくなってきた。なんなら今すぐにでも雪が見たい。熊本では決して見られないまっさらで一つ一つ美しい結晶。サラサラでキラキラとした一面。空を見上げれば広すぎる空から恐いくらいとめどなく無限に降り注ぐ雪。温泉に浸かりながらカニと牛乳を両手に北海道の雪を浴びるのだ。

 

 安っぽい屋根に弾かれる安っぽい雨粒の音をぼんやり遠くへ転がしながら眠りについた。

自分語り

  「話は以上です。」

 手の甲は黒ずんで爪は黄ばみ、浮腫んだ指に似合わない無愛想な輝きを放つ愛の無機物を、男はひらひらとかざして事務室へ去った。

 やがて社員や同じアルバイトの人々がそれぞれの仕事場へぞろぞろと向かうのに、私も鼻をズッと啜りながら着いて行った。

  「また小さすぎたかな。」

 首から提げた名札を吊るすふにゃりとした青紐が歩く度にみっともなくクルクルと回る。切れかけのインクを押し絞って、やっと書いた自分の名前をすすけたソフトケース越しにざらりとなぞる。 文字を書く機会が減ったからか全体的にどこかぎこちなく、特に画数の多い下の名前なんかはバランスが酷い。でかでかと書かれた他人の名前を見かけると、まるでそれが自信の表れかのように感じて、少し気が落ちた。

 

 時給1000円、9時から18時までフルタイムで8000円。職場までは電車とバス40分。ここでの勤務は今日でもう1週間になる。倉庫内でのいわゆる肉体労働だが、やることは単純なので重いものを運ぶことにはかなり慣れてきた。

 とはいえ、季節は12月末。小さく不安定な脚立に登りテレビ台を運ぼうが、せっせとコンテナに荷を積もうが、端から端まで1キロちかくある倉庫を何往復しようが、汗ひとつかかないほどここは寒い。耳から足指まで、なんなら脊椎に届きそうなくらいカチコチに冷えている。

  「大阪の人は暖かい」とテレビでよく聞くが、少なくとも今の凍てついた私の体を溶かしてくれるような温もりは未だ感じられないでいる。

 

 地元の高校をわずか半年ばかりで辞め、はるばる熊本の田舎からここ大阪の寝屋川市へ来たのは10月のことだ。住居は父のツテ。駅から幾多の居酒屋をぬって徒歩5分、マンション最上階角部屋、家賃10万円4LDKの広すぎる部屋。

 すぐ近くにはドラッグストア、ドンキ、コンビニ。少し足を伸ばせばショッピングモール。地元と違ってとても便利な街だ。

 最初キャリーケースを転がしてはるばるやって来たとき、自転車の多さとそのスピードにかなりたじろいだ。

 朝の走行車のクラクションとゴミの匂い、昼の喧騒と愉快なおばちゃんたち、夜の賑やかさとダストからの煙、人々の生活がぎゅうぎゅうにあったお陰か、知り合いが1人といない中でも不思議と寂しさはなかった。

 父は何やらあちこちへと出張しているため、実質1人暮らしとなる。私はまさにこの快活たる街を見下ろす孤高の城をちゃっかり築き上げたのだ。

 

 学校を辞めた理由はいろいろある。当時親や先生を納得させるために「自分探し」だの「本当にやりたいことを見つけたい」だの、よくある自己啓発気味なこじつけで「そうだ、そうかもな」と自分さえをも騙し込んで時に涙し時に怒り必死に説得した。

 そんなぼんやりとしたことしか思いつかないくらい、本当にいろいろあった。そのいろいろが私の行く手を阻むかのように着々と重なったのだ。

 

 

 いろいろの1つ目。人間不信。

 小学生の時にいじめられた。流行を好み、自分のことを「うち」と呼び、比較的キャピキャピしていた私はカーストの高いグループに属していた。ただ、その中ではローテーションに獲物を定めらる。自然と私の順番が来た、ただそれだけのことだった。全てはリーダーの気分次第だった。

 しかし、私も獲物が決まる度に無視だの悪口だののいじめに加担していたので今更何も言えないのだけれど、悔しい、悲しい、辛いという気持ちが渦巻いて人と関わることが上手く出来なくなってしまった。人を好きになる感情を見失った。と同時に、初めてこのとき弱い者の気持ちや、自分が犯した過ちを理解した。早くグループから離れれば良かったのに、謎の反省の手紙をおくったり、小学生のくせ忖度の長電話をかけまくったり執着して、本当に自分は馬鹿だった。1人になるのが怖かったのだろう。

 

 すっかり人間不信に陥った私は時に嫉妬心に燃え、時に独占欲に溺れ、あれよこれよと性格が拗れていった。学年が上がるにつれてとうとう煌びやかなお群れとはすっかり疎遠になり、友達は年々と減っていった。

 「私とお友達になってください。」

 「何言ってるの、私たちもう友達じゃん!」

という漫画のようなくだらないやり取りに本気で焦がれていたくらい、人間関係に難しさを感じていた。

 人の目を見て話すことができなくて、姉にそうしろと教わったので、寄り目になるくらい相手の鼻先の黒いツブツブをひとつ、ふたつと数えた。幾らか気が楽になる代わりに、相手の話が頭に入らず苦労した。声が音としてとしか耳に届かない、言葉としての意味を理解できない。

 

 今やコミュニティがバイト先しかなくなってしまったが、そこでも友達の作り方なんてものをずっと考えている。

 

 心の開き方がわからない、かつ人が信じられない。そんな私に心を開いてくれる人が一体どこにいるのだうか。

 学校が全ての世界で毎日、ある時は宇宙のように途方もなく、ある時は電話ボックスのように狭苦しくいあの感覚、そんな異次元を交互にして、ただ数少ない友達を大切にすれば良いのだとわかっていた。でも自分しか見えない。

 結局私は変われなかった。

 

 

 2つ目。中3の初めに過敏性腸症候群を患った。

 きっかけは新学年テストの日だった。

 空前のイメチェンブームに燃えていた私は春休みの間からヨーグルト、レタス、豆腐しか食べないそれはそれはストイックな生活を送っていた。

 さて、効果は抜群でみるみる痩せて学校イチ可愛くなり…とはいかず特に何も変化のないまま、むしろやつれ顔のフラフラした体でその日の朝を迎えた。

 とにかく自分の足の太さだとか、顔や髪の具合だとかに酷く敏感になり、いつも以上に緊張感と劣等感に苛まれていた。

 

 朝9時頃、女教師の合図で最初の科目がスタートした。まだ少し肌寒い朝、ピンと糸が張るように静まり返った教室で見慣れた顔半分、よく知らない顔半分の塊が一斉にペンを取り用紙をめくる。私もボーッとした頭を何とか切り替え、それに続く。

 やばい。そう感じたのは試験開始から10分程度経った頃だった。腹からだんだん下へ、はち切れそうな圧迫感が下へ下へ順々と伝う。

 履き慣れた上履きがだんだんもどかしくなって腰を引く。硬い椅子、硬い机、硬い鉛筆、硬い体が不思議とフワフワ宙に浮く。落ち着こうと1度頭を上げ、女教師と目が合う。訝しげな顔を向けられる。そんなふうに見ないでくれ、カンニングじゃないんだと心で叫ぶが手を挙げて助けを求める勇気もなく、また俯く。

 その最中にも次々に私は苦しいもので体中いっぱいになり、先程までの冷えを返して欲しいくらい全身が熱く火照り、これから起こるであろうことをぐるぐる想像するとひとつ、ふたつ、ツーっと汗が流れる。そして遂に我慢の限界が来てしまった。

 張りつめた糸をプツリと切るように、とにかく無様な音が響いた。恥ずかしさのあまり頭が真っ白になった。もう何も考えられなくて周りの反応を伺う余裕は無かったが、今思えばそんなことをいちいち気にする人はほぼいなかっただろう。けれど、その時の私は好きな人もいて、見栄張りで、自意識過剰で、とにかく周りが気になる思春期乙女街道をひた走っていたのだ。

 もちろん、こんな醜い音はその街道設計に予定していない。自分への励ましや慰めなど頭に浮かぶものか。穴があったら入りたい、こんな言葉を作った人を憎たらしく思えた。穴なんてそうそう都合良く無いからだ。

 

 面白いことに1度鳴り出すともう止まらなかった。意に反して連続爆弾テロの単独犯がここに誕生したのだ。原因は多分、朝食べた大量のヨーグルトだろうと気づき、テストの結果もまあ散々で、これを機に偏食は辞めた。

 だが決してこれで終わりではなかった。ここからが果てしなく長い地獄の幕開けだった。

ラクトアイスだったときの絶望感を許す会

 どうやら普通の人間は一日にアイスクリームを3個も食べないらしい。

 収入が2倍以上になるとどうも金銭感覚がおかしい。ついでに食欲もおかしくなるらしい。

 

 買い物依存の気が元々あったので貯金なんか出来る筈もない。

 毎週日曜はYahooショッピングでPayPay払い還元率20%の有り難い恩恵を受けるべく、0時になった途端眠りの準備が完璧に整った脳を無理矢理起こし、月曜から土曜まで一心不乱にカートいっぱいに入れた商品を0になるまで無心で決済していく。

 空っぽになったカートの何たる清々しさ…

 

 火曜辺りから注文した品が朝一番に続々届く。

 バチバチアイメイクが素敵なお姉さん、私の太ももと会話するおじさん、いつもニコニコの爽やかお兄さん、密やかにお馴染みの顔ぶれとなった。

 私はこの人達に会うために、一体何を注文したかも忘れてしまった消耗品を、毎週末心の虫を一つ一つ潰すようにボタンを押しているのではなかろうか。

 

 本当に不思議な事が起きる。アメリカのクリスマスプレゼントのように封を開けるとあれ?こんなもの注文したっけ?覚えていないのである。

 街へ買い物に出た時もそう。帰宅して、物凄い重みで肩紐が拷問器具と化したエコバックをそれいけと床にひっくり返す。身に覚えのない菓子、化粧品、服、アクセサリー…。

 5千円という微妙な値段の美容液はとりあえず引き出しに寝かせておいた。

 

 しかし空になった財布、空になったエコバック、空になった菓子袋、どうしてこんなにも気持ちが良いのだろう。パンパンになったクッサクサのゴミ袋を取り替える時の気持ち良さと似ている。

 そうしていつか心も空っぽにすることを目指していきたい。

 

 実家にいた頃、今は亡き徒歩30秒の小さなドラッグストアに毎日のように通っていた。

 あまりにも近いので、お風呂上がりにまだ濡れた髪のまま首にタオルを巻きパジャマで訪れることもしばしばあった。

 そこでは、新作のアイスをチェックすることはもちろんだが、何よりも柔軟剤のサンプルを片っ端から嗅いでクラクラすることが好きだった。

 

 家は貧乏だったため、洗剤にしても何にしても品質関係なく1番安いものを有無を言わさず取り入れられていた。

 洗濯後、畳み終わった自分の服を嗅ぐといつも同じ、フローラルなんだかシトラスなんだかシャボンなんだかよく分からない匂いと謎のカビ臭さと古い洗濯機の目に見えない汚染とでプラマイゼロ(むしろマイナス)のフレイバーがした。

 同級生の女の子からのエレガントな香り、丁寧にアイロンのかかった男の子シャツからのフレッシュな香りがたまらなく羨ましかった。苦くて切ない。

 

 柔軟剤のCMは、お姉さんが呑気なメロディを歌いギンギラの太陽の下で叫んでいるものより、クラシックなお姉さんがドラム式洗濯機に上品にビーズだかなんだかをカッコつけて投げ入れる方が私の好みであった。

 

  踵が大きく余った兄のサンダルをカパカパと鳴らしながら自動ドアをくぐる。入って右に進み、レジのいつものおばちゃんに笑顔で軽く会釈する。

 頭痛薬、TENGA、湿布、水虫、突き当たり左に進む。期待が膨らみ早く歩きすぎて足がもたれかける。いつの日かテレビで観戦した競歩を真似たフォームだった。

 体勢を整え、つまみ、アイス、ジュース、練り物、お豆腐、納豆、突き当たり左に進めば目的地に到着だ。

 ふぅと一息吐くと、1番上の棚の右端から1番下棚のの左端まで丁寧に、まるで花の蜜に誘われる虫のように、むせ返るような極楽を堪能する。たまにご近所さんに遭遇して、なんだか冷ややかな目を向けられたような気もする。流石に小学校までの話。

 

 憧れの柔軟剤を1度だけ母にねだったことがあった。   個人的な選考をくぐり抜け、シックで気品のあるお気に入りのそれは普段の2倍以上する金額だった。

 私の決死のプレゼンに合いの手の如く、激安ケツ切れ不可避トイレットペーパーを片手に要らないとあえなく却下され、目が覚めた。それから私のパラダイスは幕を閉じた。

 

なんだかよく分からないけど、ちゃんと家計簿つけてるからエライ!

死にたいのに飯食っとる

 明けましたおめでたくはない。

 2020年は何だかスッカラカンだった。

 

 暇な時間が多いと目まぐるしく生きるとか死ぬとか考えてしまってかといって週5で働くのも難しいしちくしょうはやくカビとサビの違いがわからなかった頃くらいに戻りたい。

 

 人生の楽しさだとか喜びだとか好きな音楽やファッション、映画、文学とか面白いと感じることは溢れている。

 しかしそれらの生きがいをぜひこれからも積極的に体験していきたいという意欲が全く湧かない。

 私の経験の全て、平行線上の凸凹にも満たない、全てが平行。

 どうせ死ぬのだから何だか全て無意味な感情ではないのか。終わるのだから。それに意味を持たせるのが人生の役目なら私は早く死にたい。

 

 実家は出た、父親は海の向こうなのに私の精神はどうしてこう乱れてしまうのか、どこにも居場所がない。