ひねくれ者のくだらない話

特に深い意味はない。

許せないこと

 許せないことは許したいことでもある。

 

 今1番許せないことは生理痛だ。許せたらどんなに良いか。女にしかないこの身体の仕組みが憎い。かといって男になりたい訳では無い。血が出ること、全身痛むこと、ほんの少しだけでも軽くなったら許せるかもしれない。もし男にも生理があるなら…国会議員の男女比はどうなるのだろうか。まあそんなことはどうでもいい。

 

 父は愛に飢えている。そして私自身も。愛を渇望する親子は「お前じゃない、お前でもない」とすれ違い、いずれ「親」として、「子」として見なくなる。

 2年間、父のことを無視した時期があった。そして家を出て気がついた。父は可哀想な人だと。

 子に愛されず、子を愛することも出来ない、愛してもいない人が妻で、妻も夫を愛さない。ちやほやしてくれるのは教会の人間と海の向こうの母だけ。父はその人達のためにあっちへこっちへと忙しいようでほとんど家にいない。

 

 私は他人に愛を求めるようになった。父くらいの年齢の他人に父の理想像を求めた。数多く出会い、自分を差し出した。いっときの自己肯定感が満たされることに浸る間もなく急落していく。落ちて、転がって、見えない奈落の底にスリルと現実逃避感を覚えた。

 

 そうか、哀れな人なんだ、と納得できても、もう遅い。今の私はこの関係を再構築したいと思わない。思いたくてもできない。許せないからだ。

 でも見捨てたら、父は一生カルト宗教から抜けられず、孤独に、ただただ死後の楽園だけを頼りに生きるのだろう。

 「統一教会」、「カルト2世」…大事件が起きてから連日ニュースで盛り上がっている。文字を見ただけで緊張が走り、私にとってはただの夫婦の写真に何度もひざまずいたときのカーペットのカビ臭さと息苦しさをくっきりと思い出す。

 信じるものは自由だ。天国や地獄を信じるのも自由。大まかな教義は世界三大宗教と比べて特に大差は無いように思える。では何が問題なのだろうか、何が私の心の中で父を許すことにストップをかけているのだろうか。母を蔑ろにするから?無職だから?癇癪持ちだから?挙げたらキリがないほど欠点の多い父だ。でも、果たして許せないほどのことなのだろうか。落ちきって、散々見下して、呆れて、しまいには哀れんでいるこの私に許す権利はあるのだろうか。

 

 「父のせいで」という事実は確かにそこにある。以前の私は、その事実に自分が傷ついた責任を全て押し付けた。根深く、執拗に、なりふり構わず憎しみをぶつけた。同じくらい自傷もした。

 でも実際行動したのは自分だ。自分で破滅した。責任を取るのが、現実を見るのが怖かったのだと思う。思春期を迎えた頃から四六時中イライラしているのは自分に向けたものなのだと気づいた頃、20歳になってしまっていた。

 

 もちろん幼い頃受けた暴力・暴言のトラウマは消えない。頭上に手が来るだけで全身が強ばり心臓が潰れて息ができない。

 中学生から続く不眠症。何時間も何時間も睡眠用BGMをタップしては目覚めて、タップしては目覚めて…新聞配達のバイク音で「明日は学校を休もう」と決める。白み始めた空を睨んでようやく眠る。

 

 父は、怒り以外では愛に溢れた人だった。私がその一面を信用できず、許すことができなかった。愛に応えないで、はっきり「嫌いだ」と抵抗したせいで父からは愛が消え去り怒りだけが残った。家族がぎくしゃくするのは全部私のせい。

 

 2年間無視をした末、急に「もうやめよう」と思い立ち、大人になった自分を作って許すふりをした。当たり障りのない、上っ面の会話しかできない。お互いそれを望んでいるからだと思う。干渉しない、関わらない。

 

 読み返したら最早ラブレターのようだ。

 私にも当たり前に父のことを好いていた時がある。父を自分の父だと認めていた時がある。私が大きくなり、現実を知りすぎたのがいけなかった。

 せめてカルト宗教じゃなければ…私は産まれていなかっただろうが、別の世界線の私が反抗期をごく普通に終えて、ごく普通に父親を許せていただろう。父と酒を飲み、進路を相談して、彼氏を会わせて、介護をして、嗚咽を漏らしながら大衆的な天国へ見送るはずだ。

 

 いつか許せる日が来るはずだ。勇気を出して2年間の沈黙を破った時のように、閉ざされた心を開く時が必ずくるはずだ。何年後かはわからない。わかるには私はまだ幼すぎる。